700psのV12ツインターボで351.45km/h達成 マイバッハ・エクセレロ(2) 近年稀な大盤振る舞いプロジェクト

公開 : 2026.06.20 17:50

兄弟モデルが誕生する可能性もあった

エクセレロ最大の功績といえるのは、マイバッハによるインディビジュアル・プログラムを先行したところ。費用の縛りなしなら、どんなモデルを提供できるのかを、顧客に提示することへ繋がった。また、6.0L V12エンジンの「57 S」にも派生したといえる。

ちなみに、エクセレロの兄弟も誕生する可能性はあった。製作を担当したカロッツエリア、ストーラ社は、2007年にマイバッハのロゴを省いた派生モデル、ストーラ・ファルコンを発表している。フロントグリルの形を変え、ルーフを全面ガラス張りにして。

マイバッハ・エクセレロ(2005年/ワンオフモデル)
マイバッハ・エクセレロ(2005年/ワンオフモデル)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

25台の限定で販売すると、告知されてもいた。惜しくも、実現はしていないが。

近年では稀な大盤振る舞いプロジェクト

復活したブランドの、華々しいショーケースとして一時代を湧かせた、エクセレロ。キッカケは少々軽薄なものだったかもしれないが、コンセプトカーとして肩を並べる事例は殆どないだろう。ここまで大盤振る舞いな共同プロジェクトは、近年では稀でもある。

例えるなら、巨大で強力、壮大なモニュメント。富豪の自動車マニアがショーカーへ求める究極の姿、と表現しても良いかもしれない。単にイベント会場のステージへ飾られるのではなく、実際に350km/h以上の速度で走行できるのだから。

2005年のナルドで最高速テストを実施したエクセレロと、クラウス・ルートヴィヒ氏
2005年のナルドで最高速テストを実施したエクセレロと、クラウス・ルートヴィヒ氏

今では、行き過ぎたワンオフモデルに思えることは否めない。しかし、まだ潤沢だったマーケティング予算のおかげで、自動車史へ無二の物語が追加されたことは、喜ばしい事実だろう。

協力:ドイツ国立自動車博物館、ロー・コレクション

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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