15年間温めてきたアイデア フィアットを救ったオリヴィエ・フランソワ氏:エディターズ賞(後編) #AUTOCARアワード2026
公開 : 2026.07.03 18:10
フィアットで感じた、胸が張り裂ける思い
FCAで2つのヒット作を生み出したフランソワ氏は、2011年にようやく「ドル箱」であるフィアットブランドのトップに就任した。彼は直ちに計画に着手した。
「セルジオにはストラトスやデルタに匹敵するモデルを提示しましたが、最初にやったことの1つは、次期プントの開発中止でした。開発中の新型は、あまり見栄えが良くなく、面白味に欠けていたのです」

「人々は『この男はどこからともなく現れ、発売まであと1年だったのに止めてしまった』と激怒していました。しかし、誰かが『新しいX、Y、Zを作る』と言うと、わたしは必ずその理由を尋ねます。そのクルマの独自の目的は何なのか? もしそのクルマが世に存在しなかったとしたら、なぜ開発する必要があるのか? その質問に答えられないなら、やるべきではないでしょう」
こうして、可愛らしくも実用的な小型車をラインナップに揃えた、新しいフィアットの礎が築かれた。しかし、どんなに万全な計画でも、うまくいかないことがある。フランソワ氏はブランドに必要なものを頭の中で明確に描いていたものの、大きな壁に直面する。
「わたしがプロジェクトを提示する頃には、(FCA内では)常にジープ、ダッジ、ラムへの資金配分が優先されていました。当然のことではあるが、セルジオが『ノー』と言うたびに、わたしは胸が張り裂ける思いでした。資金は新しいパシフィカやコンパス、その他諸々の新モデルにばかり使われてしまった。フィアットはただ待たされ、待たされ、待たされ続けた。わたしはずっと待ち続けていたんです」
流れを変えたステランティスの設立
フランソワ氏と話していると、2010年代はフィアットにとってある種の「失われた10年」だったことがうかがえる。パンダと500がブランドを何とか支えていた一方で、プントをベースにした派生モデル(500X、500L、ティーポ)の成功は限定的だった。彼の野心は、結局のところ、FCAが失敗を許容できるモデル数が極めて少ないという事情によって制限されていたのだ。
ステランティスの設立を機に、潮目が変わり始めた。

「わたしは『飢え』の中で鍛えられてきた」と彼は言うが、今や「オアシスを最大限に活用している」のだ。
フランソワ氏は、フィアットに対する自身のビジョンを現実のものとしたことについて、ステランティス設立時のCEOであるカルロス・タバレス氏の功績が大きいと述べている。
「2011年に生み出したわたしの『子供たち』は、新しいプラットフォーム(スマートカー)や新しいエンジンによって成熟しましたが、それを実現できたのはステランティスのおかげです。今日目にするすべてのものは、カルロスの後押しがあったからこそ実現したのです」
2011年からの構想がようやく実を結ぶ
フランソワ氏は、その過程でいくつかの失敗があったことを認めている。
「600も、トッポリーノも、さらにはグランデ・パンダさえも、発表が早すぎました。それで、『あのクルマはどこにあるんだ?』と言われることになりました」

一方、EVの500eは、フィアットが期待していたような、500の絶大な人気を受け継ぐことはできなかったが、はるかに現代的な新型ガソリンモデルを開発するためのベースとなった。そして、フランソワ氏の「愛娘」とも言えるグランデ・パンダが、ついに世界中のショールームに並ぶことになった。
こうした基盤が整った今、フランソワ氏は、フィアットのために長年思い描いてきた繁栄の復活を胸を躍らせて待ち望んでいる。
「10月に65歳になります。『もう辞めてもいいかな、引退してもいいかな』という考えが頭をよぎることもありますが、わたしがまだここにいる本当の理由は、まだ十分なエネルギーが残っていて、この瞬間を辛抱強く待ち続けてきたからです。ほとんどの人はその到来に気づいていませんが、確実にやってきます。今はただ、この瞬間を存分に楽しませてほしい」



































