【時空を超えて伝説のマシンが降臨】あの『グラチャン』が富士に帰ってきた!2026年にシリーズ戦も開始

公開 : 2025.08.23 11:45

8月9日に富士スピードウェイで、『MIMI5 GC RETURNS 2025』が開催されました。伝説のレース『富士グランチャンピオンシリーズ』、つまりあの『グラチャン』が帰ってきたのです。高桑秀典がレポートします。

かつてグラチャンに参戦したマシンたちが再び疾走

去る8月9日に富士スピードウェイを会場として、『MIMI5 GC RETURNS 2025』(以下GCリターンズ)と銘打ったレースが開催された。

古くからのレース好きは、『GC』というアルファベットの並びを見て、真っ先に『富士グランチャンピオンシリーズ』のことを思い浮かべたと思う。そう、まさにあの熱き『グラチャン(グランチャン)』が帰ってきたのだ。

イエローのローラT87/50を駆る小嶋禎一さんが予選で1位を獲得。そのまま決勝も制した。
イエローのローラT87/50を駆る小嶋禎一さんが予選で1位を獲得。そのまま決勝も制した。    沼田亨

ポイントは、かつてグラチャンに参戦していた懐かしいマシンたちが再び走ったこと。往時にステアリングを握っていたレジェンドドライバーのみならず、整備を担当していたベテランメカニックたちも集結。

タイムスケジュールの中にレジェンドドライバーによるデモランも用意されていたので、時空を超え、ピット内に独特の緊張感が甦った。

ご存知の方も多いように、役目を終えたグラチャン参戦マシンは、富士スピードウェイの周辺にあるファクトリーの一角で雨ざらしにされたケースが多々あった。そのため、残念ながら消失してしまった車両も少なくないが、熱心なカーマニアが動態保存してきたグラチャン参戦マシンも残っており、それらが今回のGCリターンズに集まったわけである。

そのように書くと、GCリターンズは懐古的なイベントなのかと思うかもしれないが、オーナーが定期的に走らせてきた快速マシンも参戦し、本気モードでのレースが展開された。

迫力あるエンジン音と風を切って走っているときのカッコよさは特筆ものだった。

クラス分けは『ジェネレーション1~3』

1971年4月25日の富士300kmスピードレースで開幕したグラチャンは、1989年に終焉を迎えるまでの間に、度々レギュレーションを変更。

そのためGCリターンズでは参加車両を3世代でクラス分けし、ジェネレーション1~3までの混走レースとした。

RE-13Bを積んだウルフMCSは、当時のドライバーである関谷正徳さんが乗ってGen-2で優勝。
RE-13Bを積んだウルフMCSは、当時のドライバーである関谷正徳さんが乗ってGen-2で優勝。    沼田亨

1971年~1978年までの2座席2リッターが『Gen-1』、1978年~1986年までの1座席2リッターが『Gen-2』、1987年~1989年までの1座席3リッターが『Gen-3』となる。

Gen-1時代は、シェブロン、ローラ、マーチ、GRDなどの海外マシンに加え、シグマ、ベルコ、いすゞ、エヴァカーズなどの国内コンストラクターが開発したマシンが参戦。BMWフォードマツダ・ロータリー、三菱トヨタのエンジンを積んだ個性的なマシンがグリッドに並んだ。

Gen-2時代は、当初、自由度が高い車両規則を活かし、2座席スポーツカーに空力がいいシングルシーター特製ボディを架装。その後、さらなる性能向上を求め、F2のシャシーに特製ボディを架装し、完全なシングルシーターへと進化。シャシーはマーチ、エンジンはBMWとヤマハ、ボディはMCSが主流だった。

Gen-3時代は、空力ボディをハイダウンフォース化し、F3000の高性能シャシーに架装。3リッターのパワフルなエンジン(フォード、無限、マツダロータリー)はGCカーをハイパフォーマンスマシンへと変貌させた。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    高桑秀典

    Hidenori Takakuwa

    1971年生まれ。デジタルカメラの性能が著しく向上したことにより、自ら写真まで撮影するようになったが、本業はフリーランスのライター兼エディター。ミニチュアカーと旧車に深い愛情を注いでおり、1974年式アルファ・ロメオGT1600ジュニアを1998年から愛用中(ボディカラーは水色)。2児の父。往年の日産車も大好きなので、長男の名は「国光」。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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