ディアブロにXJ220、Gr.Cポルシェも 秘密のスーパーカー・クラブ(2) 富裕層だらけの密会へ
公開 : 2025.10.19 17:50
シルバーストンで開かれた、クラブ限定ミーティング フェラーリF40だけでも10台以上 パガーニ・ゾンダRにケーニグセグ・ワン:1、ポルシェ962まで UK編集部が参加車の一部をご紹介
ランボルギーニ・ディアブロ(1995年式)
オーナー:マイク・ユールズ氏
1990年のル・マン24時間レースでクラス優勝を遂げたユールズは、1995年のレギュレーションへ抜け穴があると気が付いた。「ホモロゲーションは1台で大丈夫でした。チームのメンバーで話し合い、ランボルギーニにアプローチしたんです」

当時のランボルギーニは、新体制になったばかり。「シャシーを英国へ運び、そこでマシンを組み立てました」。と振り返る。新しく開発したスペースフレームへ、180度向きを変えたV12エンジンが載り、ヒューランド社製トランスミッションが組まれた。
テスト走行は、フランスのポール・リカール・サーキットで実施。ところがランボルギーニは、レースへの挑戦に後ろ向きだった。新たに持ち込まれたV12エンジンは「酷いもの」だったという。「彼らは諦めさせるために、全力を尽くしたようです」
チームへの投資者は、ランボルギーニを提訴。計画は中止に追い込まれ、ディアブロがコース上で競うことはなかった。マシンは南アフリカへ運ばれ、28年も放置されてしまう。だが近年レストアされ、レースイベント・デビューを果たしたばかりだという。
ポルシェ962 C(1987年式)
オーナー:ヘンリー・ピアマン氏
ジャガーEタイプを専門とする、イーグル社を創業したピアマン。ル・マン24時間レースは、毎年のように観戦してきたと振り返る。1988年を戦ったポルシェ962 Cは、2位に付けていた時間帯もあったが、総合6位でフィニッシュした。

シャシー番号8のこのマシンは、彼が所有するグループCカー・コレクションの1台。1988年当時はレッドとイエローのシェル・ダンロップ・カラーに塗られていたが、今は1987年時のロスマンズ・リバリーへ変更されている。
「トランスミッションはフルシンクロで、空力特性も素晴らしく、ブレーキは強力。驚くほど扱いやすいですよ」。と、レーシング・ポルシェの乗りやすさを強調する。「24時間酷使することが前提なので、リビルドも2年は不要です。パソコンもいりません」
ジャガーXJ220(1993年式)
オーナー:ベン・クラーク氏
「夢のクルマだったんです」。と話す、クラーク念願のジャガーXJ220の走行距離は、僅か4000km。希望通りの仕様を探すのに、かなりの時間を割いたという。不具合があり、相当な費用を投じて修理もしているが、完了までに1か月半かかった。

その内容は、燃料系統にベルト、シール類、エンジンのリビルドなど。新しいタイヤだけでも、5000ポンド(約99万円)払ったという。「クラッチペダルやステアリングは、とても重いんです。走り出せば問題ないんですが、駐車は大変です」
パワフルな後輪駆動で、挙動へ慣れるのにも時間がかかったらしい。タイヤを減らさないよう、気も使っている。それでも、クラークの好きな気持ちは変わらない。
「サイズは凄く大きい。敬意を払って乗る必要がありますね。アクセルペダルは迂闊に踏めません。ブレーキはキーキーうるさくて、効きが弱いですが、XJ220は大好きです。何よりスタイリングが最高。眺めているだけで、幸せになれます」
















































































































































