【2000GT、AE86、NSX、R32GT-R等が快走】谷田部から移転後20周年!JARI城里テストセンターで改めて感じたこと

公開 : 2025.10.13 12:05

JARIの城里テストコースが谷田部から移転後20周年を迎え、記念式典が行われました。それを祝うためトヨタ2000GT、AE86、初代NSX、R32GT-R等が走行しています。当日参加した桃田健史のレポートです。

自動車産業を取り巻く社会情勢は大きく変化

茨城県の『JARI城里テストコース』で、1966年当時を思い出す『トヨタ2000GT』レース仕様車の乾いたエキゾーストノートが響き渡った。

JARI(呼称:ジャリ)は、『一般財団法人日本自動車研究所』のこと。2005年に現在のつくば市にあった『谷田部テストコース』運用停止に伴い、城里町(しろさとまち)に新たな試験施設が開業した。

JARIの城里テストコース20周年式典に登場したAE86、スープラなどのスポーツカーたち。
JARIの城里テストコース20周年式典に登場したAE86、スープラなどのスポーツカーたち。    桃田健史

それから20年が経ち、自動車技術はもとより自動車産業を取り巻く社会情勢は大きく変化している。その上で、なぜ今、JARIは自動車メーカーや自動車部品メーカーから改めて注目されているのだろうか? 高速周回路は年間稼働率が130%(2024年度実績)を超えるというから驚きだ。

そんなJARIの実態をよく理解するために、まずはJARIの歴史を振り返ってみたい。

1961年、自動車メーカー各社や自動車部品メーカー各社が共同で出資し、通商産業省(現在:経済産業省)等との連携によって『財団法人自動車高速試験場』が設立された。国としても、自動車産業が今後、日本を支える重要産業に成長することを期待していたと言えよう。

その3年後の1964年、茨城県谷田部町(つくば市)に、日本初の大型自動車試験場として1周5.5km、最大斜度45度の谷田部テストコース運用が始まった。

これはホンダが三重県に鈴鹿サーキットを開業した2年後であり、また静岡県の富士スピードウェイ開業の2年前という、現代の日本自動車産業における創世記とも言える時期であった。

谷田部テストコースという夢の舞台

谷田部テストコースと聞いて、ユーザーによっていろいろなイメージを持っているだろう。

古くは、今回展示があったトヨタ2000GTが1966年に挑んだ、72時間世界最高速チャンレンジだ。当時のクルマで時速200kmを越えて72時間も走り続けることは、自動車にとってもドライバーにとっても極めて過酷だが、安定した超高速走行は高い自動車技術の証明であり、企業PRとして有効な手段だったと言える。

今回は開業20周年と高速周回路5車線改修工事お披露目会が兼ねて開催された。
今回は開業20周年と高速周回路5車線改修工事お披露目会が兼ねて開催された。    JARI

その後、1960年代後半は日本グランプリでのトヨタ、日産、そしてポルシェなどの欧州レースモデルを要するタキ・レーシングの対決が当時の若者たちを熱狂させた。

ところが、1970年代に入ると自動車を取り巻く環境は急変する。

アメリカを筆頭に排気ガス規制が強化され、燃費の良い小排気量車の開発が盛んになると当時に、エタノールや水素などガソリンに変わる燃料を使うクルマの研究開発の場としてJARIでも研究施設を設け、自動車メーカーとの連携を進めていった。

1980年代になると、再び谷田部テストコースが注目されるようになる。いわゆるチューニングカーによる速さの追求だ。

自動車雑誌や、書店やコンビニで発売されたVHSビデオマガジンなどで、谷田部テストコースでの最高速アタックやゼロ〜時速300kmアタックなどの特集が人気を博した。

安全面を考慮すれば、いまでは実現不可能なかなり無謀なチャレンジだったが、チューニングカーファンにとって谷田部テストコースはまさに、夢の舞台であった。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事