マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(前編) スターの陰に隠れてしまった不運なクルマ

公開 : 2025.11.30 11:25

アルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)

アルファ・ロメオは1973年にアルファ6の導入を計画していたが、石油危機により大型で燃費の悪いセダンが富裕層以外の欧州ドライバーには受け入れられなくなったため、計画は頓挫した。その後、オイルショックが落ち着きを見せた1970年代後半まで、アルファ6はお蔵入り状態だった。再設計を経て1979年に発売されたものの、すでに時代遅れの姿になっていた。

キャブレター式の2.5L V6エンジンは真の傑作だったが、その燃費の悪さは1979年当時ですら眉をひそめさせた。1983年にはスタイリングの改良(写真)、ボッシュ製燃料噴射装置、オプションのターボディーゼルが導入されたが、改良は遅すぎた。約1万2千台を生産した後、1987年に引退した。

アルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)
アルファ・ロメオ・アルファ6(1979年)

ビュイックセンチュリー・ターボクーペ(1979年)

若年層を惹きつけるにはどうしたらいいか、その答えが書かれたビジネス本があれば、ビュイックは隅から隅まで読んだに違いない。インディアナポリス500のペースカーも手掛けるビュイックが満を持して1979年に送り出したセンチュリー(4代目)には、クーペ、セダン、ステーションワゴンが用意されていた。

中でもターボクーペは、最高出力175psの2.8L V6ターボを搭載し、当時のシボレーコルベットと同程度のトルクを誇った。外観はサーブ900にも似ており、ビュイックは「欧州車風」と謳っていた。しかし、若者を惹きつけるには不十分で、販売開始から2年で2000台も売れず、生産中止となった。

ビュイック・センチュリー・ターボクーペ(1979年)
ビュイック・センチュリー・ターボクーペ(1979年)

スティーブンス・サイファー(1980年)

米国の規制でスポーツカーが消滅するのではないかという懸念から、他社がこぞって市場から撤退する中、アンソニー・スティーブンス氏はサイファーを生み出した。軽量コンパクトなこのモデルは、シンプルなシャシー、グラスファイバーボディ、850ccのリライアントエンジンを採用。AUTOCAR英国編集部のスティーブ・クロプリー編集長も試乗で絶賛していた。

しかし、スティーブンス氏はサイファーの量産資金を調達できず、完成したのはわずか7台だった。サイファーが「時流に合った正しいクルマ」であったにもかかわらず、正当な支援を得られなかったのは英国自動車産業の大きな損失である。

スティーブンス・サイファー(1980年)
スティーブンス・サイファー(1980年)

シボレー・シテーションX-11(1980年)

X-11はシボレーにとって、高性能のサブブランド的な存在だった。特に希少車を目指すつもりはなかったが、154万台売れた標準のサイテーションに対し、X-11はわずか2万台しか売れなかった。X-11は高性能モデルで、2.8L V6エンジンを搭載し、ボンネットの盛り上がりでスポーティさをアピールしていた。実際、X-11は1982年と1984年のレースでシボレーを優勝に導いた。

シボレー・シテーションX-11(1980年)
シボレー・シテーションX-11(1980年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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