マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(前編) スターの陰に隠れてしまった不運なクルマ

公開 : 2025.11.30 11:25

リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)

コンチネンタルはリンカーンを代表するモデルの1つだが、その長い歴史の中で、欧州テイストのディーゼルエンジン搭載車はほとんど忘れ去られている。メルセデス・ベンツが米国に輸入したディーゼル車は、リンカーンを大いに困らせていた。非正規輸入車も1980年代初頭に急増。キャデラックも流行に乗ったが、大成功には至らなかった。

リンカーンは、顧客が求めるディーゼルエンジンを提供することが、販売を維持する最善策だと判断した。1984年モデルでは、コンチネンタルには140psの4.9L V8と、BMW製で115psにチューニングされた2.4L直列6気筒ターボディーゼルが用意された。後者は524tdに搭載されたものと同じユニットだった。リンカーンはディーゼル仕様に1235ドル(現在の価値で約3100ドル=約48万円相当)を上乗せしたが、結果的に顧客はメルセデス・ベンツに流れてしまった。ディーゼルは1985年以降、カタログから姿を消した。

リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)
リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)

いすゞ・インパルス(1983年)

キュートでありながらスレンダー。パワフルでありながら繊細。どちらも、今のいすゞから連想される言葉ではない。しかし、海外で展開されたいすゞ・インパルス(日本名:ピアッツァ)の広告には、月に照らされた暗い背景に「It screams when you step on it(踏むと咆哮する)」というキャッチフレーズが添えられ、異様な雰囲気を漂わせていた。

実際、ジョルジェット・ジウジアーロ氏がスタイリングを手がけ、ロータスが開発したサスペンションを搭載するなど、時代の先端を行くクルマであった。しかし、そのルックスと繊細なキャラクターは、さすがに時代を先取りしすぎたのだろう。グローバル販売は成功とは言えず。1991年にデビューした2代目は、似て非なるものとなった。

いすゞ・インパルス(1983年)
いすゞ・インパルス(1983年)

マーコス・マンチュラ(1983年)

マーコスのクルマはどれも珍しいが、そのほとんどは少数ながら熱狂的なファンを獲得している。しかし、マンチュラとその派生モデルであるマンタラ、マンタレイはあまりにも見過ごされがちだ。これは残念なことである。なぜなら、ローバーV8エンジンを搭載することで、当時のTVRに匹敵するエキサイティングな走りを実現していたからだ。

完成車またはキット形式で販売され、ボディ、シャシー、ドライブトレインのすべてが非常に良く作られていたにもかかわらず、一部の消費者にとってキットカーのネガティブなイメージを完全に払拭することはできなかった。マンチュラは289台生産され、今でもマニアの間で売買されることがある。その性能と運転の楽しさを考慮すれば高い評価を受けるに値する。

マーコス・マンチュラ(1983年)
マーコス・マンチュラ(1983年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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