ブランド回復までの長い道のり フィアットを救ったオリヴィエ・フランソワ氏:エディターズ賞(前編) #AUTOCARアワード2026
公開 : 2026.07.03 18:05
シトロエン・イタリアでも手腕を発揮
自動車業界での第一歩は、決して順風満帆なものではなかった。彼が頭角を現し始めたのは2001年、シトロエンのイタリア部門責任者に就任した時だ。
当時のC2とC3は潜在能力を十分に発揮できておらず、彼はその可能性を引き出す任務を与えられた。そこで、現在最も得意としている(ただし、当時はほとんど知識がなかったという)イタリア市場向けの特別マーケティングキャンペーンの策定に取り組み始めた。

上司たちは呆気にとられ、シトロエンの市場シェアが目標の3%を突破できなかったため、就任から9か月後に彼をパリに呼び出した。しかし、タイミングが良かったおかげで、最初の解雇の危機を免れた。
「その月に3.1%を達成していたので、解雇の話は結局持ち出されなかったのです」
シトロエンのイタリア市場シェアを「驚異」の7.4%へと導いた功績は、フィアット・グループの経営陣の注目を集めた。彼はこう語る。
「わたしには2つの大きな不安がありました。1つは、彼らがわたしを『厄介者』扱いして、現在のポストから追い出そうとしているのではないかということ。もう1つは、フィアットは経営状態が悪く、働くには適さない会社だということです。今となっては政治的に正しい発言とは言えませんが、それが真実でした。非常に暗い時期だったのです」
そこにマルキオンネ氏が登場する。
信頼を得て廃止間近のランチアへ
「セルジオから電話がありました。わたしは彼のことをよく知りませんでしたし、もし思いもよらない理由で電話をかけてこなければ、おそらく面接には行かなかったでしょう。彼はわたしにこう言ったんです。『君は素晴らしい人物だが、詩について語ろう』と。もしフランスの上司たちが詩のことを知ったら、残っていた信頼も失ってしまうに違いないと思いました。しかし、彼はわたしの詩作を知り、大いに気に入ってくれたのです。そうして彼はわたしを説得したのです」
フランソワ氏はランチアブランドの責任者に任命されたが、それは簡単な仕事ではなかった。

「ランチアは廃止される予定でした。そして彼(マルキオンネ氏)の意図は、『マーケティングの能力も少しは持ち合わせた、この奇抜で芸術的な感性を持つ男が、わたしの考えを変えられるかどうか見てみよう』というものでした」
フランソワ氏は、自動車メーカーの堅牢性は、どれだけのモデル数で失敗を許容できるかで測れると説明する。
「時には1台の失敗で終わります。2台、3台で終わることもあります」
「(フィアット・グループの)弱点は、数年前、あと2台で破綻という状況にあり、そのうちの1台がランチア・テージスだったことです。フィアットは破綻まであと2台というところで、そのうちの1台がランチアでした。そんな状況でランチアのCEOに就任して、人気者になれるわけがありません。投資提案を持って取締役会に行くと、彼らは『冗談だろう?』という目で見てくるのです」
(翻訳者注釈:この記事は「後編」へ続きます。)
































