リアエンジン車の黄金時代(前編) フォルクスワーゲン・ビートルに影響を与えた名車からスバル360まで 1950~60年代のトレンド
公開 : 2026.09.21 12:05
フォルクスワーゲン・ビートル(1938年)
アドルフ・ヒトラーは、自動車保有率が隣国のフランスよりもはるかに低かった当時、ドイツ国民が乗れるような手頃で経済的なクルマの開発を、エンジニアのフェルディナント・ポルシェ氏に依頼した。
ポルシェ博士はゼロから開発を始めたが、どのようなクルマを作りたいか、すでに非常に明確な構想を持っていた。彼は長年にわたり、いわゆる「国民車」の構想を温めており、その設計の多くはリアエンジン方式を採用していた。最初の試作ビートルは1938年に製作され、第二次世界大戦が始まるまでに約630台が生産された。その後、ビートルをベースにしたドイツ軍のキューベルワーゲンなどの軍用車両生産が優先され、ビートルの生産は中止された。

戦後に生産が再開され、販売台数は当初は緩やかに伸びたが、1950年代に入ると急増した。ビートルの累計販売台数が100万台に達したのは1955年のことで、200万台の大台に達したのはそのわずか2年後だった。ビートルは単なる低価格車という枠を超え、アイコンとなったのだ。
また、輸出でも大成功を収め、特に米国(写真)では、当初デトロイトの大手自動車メーカーが販売していなかった小型車への需要があった。
ビートルは、フォルクスワーゲンの多種多様なモデルの基盤となり、ライバルブランドの数十のモデルにも大きな影響を与えた。65年間で2100万台以上が生産され、ビートルは今もなお、史上最も人気のあるリアエンジン車であり続けている。
ルノー4CV(1947年)
ルノーのエンジニアたちは、第二次世界大戦中のドイツ占領下において、密かに4CVの開発に着手した。創業者のルイ・ルノー氏はこのモデルの存在を知らなかったと言われている。どうやら、大衆市場向けの普及車というアイデアを彼が好まなかったため、周囲の人は報告しなかったようだ。
一部では、4CVの開発者たちがフォルクスワーゲン・ビートルを調査した上でリアエンジンレイアウトを採用したという見方もあるが、ルノー側はコストと重量の理由からこのレイアウトを選んだと主張している。

4CVの生産は1947年に始まり、瞬く間に世界中へと広まった。米国で販売されたほか、日本では日野自動車がライセンス生産を行い、オーストラリアのシドニーでは完全ノックダウンキットから組み立てられたことさえあった。
特に重要なのは、4CVのプラットフォームが、アルピーヌ初の乗用車であるA106に採用された点だ。ルノーは1961年までに100万台以上の4CVを生産した。その後継モデルはルノー4であり、実用性を重視してフロントエンジン・前輪駆動へと変更された。






































