なぜ衰退したのか? リアエンジン車の黄金時代(後編) BMWを救った700からポルシェ911、フィアット126まで
公開 : 2026.09.21 12:10
今ではほとんど見かけなくなりましたが、1950年代から60年代にかけては世界中で何百万台ものリアエンジン車が走り回っていました。どのようなモデルが登場したのか、そしてどのように消えていったのかを振り返ります。
もくじ
ーBMW 700(1959年)
ーシボレー・コルヴェア(1959年)
ーZAZザポロージェッツ(1960年)
ーシムカ1000(1961年)
ーアルピーヌA110(1962年)
ールノー8(1962年)
ーヒルマン・インプ(1963年)
ーポルシェ911(1963年)
ーフィアット850(1964年)
ースコダ1000 MB(1964年)
ーフィアット126(1972年)
ーリアエンジン車の終焉
BMW 700(1959年)
ジョヴァンニ・ミケロッティ氏がデザインした700は、BMWを破綻の危機から救う上で重要な役割を果たした。このモデルにより、同社は急成長中の市場セグメントに進出することができた。
BMWはエンジンをゼロから設計するのではなく、二輪車のR67の空冷フラットツインエンジンを乗用車用に改造した。そして1950年代後半の欧州の人気モデルと競合させるため、エンジンをキャビン後方に搭載した。

生産は1959年から1965年まで続き、その頃にはBMWはすでにスポーティで高級なブランドとしてのイメージを確立し始めていた。
写真:BMW 700クーペ
シボレー・コルヴェア(1959年)
シボレーは、フォルクスワーゲン・ビートルと直接競合させるべく、1960年モデルとしてコルヴェアを発売した。コルヴェアは後部に空冷エンジンを搭載していたが、ドイツのライバル車との類似点はほぼそれだけだった。
デザインははるかにモダンで、車体も大きく、初期仕様では80psを発生するフラット6エンジンを搭載している。1960年代初頭には、ターボチャージャー付きで180psを発生するモデルなどスポーティなバリエーションがラインナップに加わった。

欧州のエコノミーカーに対するシボレーの対抗馬として、新たなセグメントを生み出す可能性も秘めていたが、そのハンドリング性能は社会活動家ラルフ・ネーダー氏から痛烈な批判を浴びた。彼の著書『どんなスピードでも自動車は危険だ(Unsafe at Any Speed)』は、コルヴェアが危険であるというイメージを固めてしまった。シボレーは1965年の徹底的な改良により、ハンドリング上の欠陥の大部分を是正したが、その時点で評判はすでに傷ついていた。とはいえ、コルヴェアは最終的に約183万5000台を売り上げている。
1969年にコルヴェアの生産が終了した後、シボレーが再びリアエンジン車を発売することはなかった。
ZAZザポロージェッツ(1960年)
1960年にソ連で生まれたZAZ-965は、長きにわたるザポロージェッツ・シリーズの幕開けとなった。外観はフィアット600をソ連流に解釈したようなものだが、その類似性は単なる偶然ではない。ソ連政府はZAZに対し、当時新しかったフィアットを綿密に調査するよう指示したのだ。
しかし、965は600の単なるコピーではない。フォルクスワーゲン・ビートルにヒントを得たトーションバー式サスペンションを採用し、空冷V4エンジンを搭載している。

965は1966年に、NSUプリンツから公然とインスピレーションを得た966に置き換えられたが、1969年まで販売が継続された。966は1971年に968へと進化し、1994年までさまざまなバリエーションで販売され続けたが、空冷V4エンジンは変わらなかった。
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