リアエンジン車の黄金時代(前編) フォルクスワーゲン・ビートルに影響を与えた名車からスバル360まで 1950~60年代のトレンド
公開 : 2026.09.21 12:05
NSUプリンツ(1958年)
1950年代、NSUは乗用車よりもスクーターやモペットの生産に長けていた。しかし、固定ルーフ付きの四輪車への乗り換えを求める顧客を失うことに嫌気がさし、乗用車分野への復帰を計画し始めた。
プリンツは当初、メッサーシュミットKR 200のように三輪車として登場する予定だったが、1957年のフランクフルト・モーターショーでは、四輪で後部に2気筒エンジンを搭載した姿でデビューした。

翌年、排気量600cc、最高出力20psの空冷ツインエンジンを搭載して生産が開始された。プリンツは、1961年の全面的な改良や、1960年代にゴルディーニに匹敵する高性能な派生モデルがいくつか登場するなど、アップグレードを重ねながらも最後までリアエンジンレイアウトを維持し続けた。
スバル360(1958年)
当時の日本の風変わりな法律により、スバルは360の2ストローク2気筒エンジンを後部に配置することを余儀なくされた。スバルは当初から、自動車の普及を促すために1949年に公布された厳しい軽自動車規格に準拠する必要があることを認識していた。
つまり、全長は3.0m以下、全幅は1.3m以下、全高は2.0m以下(改正後の寸法)でなければならないということだ。エンジンを後部に配置することで、日本政府が定めたサイズ制限内に収めつつ、室内に大人4人が乗れる十分なスペースを確保した。

360は1971年まで生産が続けられた。実業家のマルコム・ブリックリン氏は1968年、スバル・アメリカを設立するために360を米国に輸入した。米国の道路では通常、巨大なクルマばかりが走っており、このような小さなクルマを運転するのはスリリングだったに違いない……。
(翻訳者注釈:この記事は「後編」へ続きます)






































