リアエンジン車の黄金時代(前編) フォルクスワーゲン・ビートルに影響を与えた名車からスバル360まで 1950~60年代のトレンド 

公開 : 2026.09.21 12:05

今ではほとんど見かけなくなりましたが、1950年代から60年代にかけては世界中で何百万台ものリアエンジン車が走り回っていました。どのようなモデルが登場したのか、そしてどのように消えていったのかを振り返ります。

一世を風靡したレイアウト

ある世代のドライバーたちは皆、リアエンジン車で運転を覚えた。リアエンジン車は1950年代から1960年代にかけて絶大な人気を博し、自動車業界のあらゆるメーカーが世界各地で展開していた。

エンジンを後方に移すことのメリットとしては、生産コストを削減し、全長を抑えつつ室内空間を広くできる、といったことが謳われていた。しかし、嗜好の変化に伴い、ほとんどの自動車メーカーはあっという間にリアエンジン車の生産から離れていった。

リアエンジン車の栄枯盛衰を振り返る。
リアエンジン車の栄枯盛衰を振り返る。

本特集では、その全盛期を象徴するモデルと、衰退した理由を振り返る。

なぜエンジンを後部に積むのか?

第二次世界大戦後、重量、コスト、パッケージング上の制約から、多くの自動車メーカーがリアエンジンレイアウトを採用した。フィアットのエンジニア、ダンテ・ジアコーザ氏は著書の中で、600や500(写真)にこのレイアウトを採用した理由を次のように説明している。

「わたしがリアエンジン・トランスミッション配置を採用した決定的な理由は、コストだった。フロント配置は、前輪駆動がもたらす技術的利点、さらには車体設計に使えるスペースが確保できるという点で魅力的だったが、我々が目指していたサイズの経済的なモデルとしては、リアエンジン配置よりもはるかに高価なものになっていただろう」

フィアット500
フィアット500

これはフィアットの立場からの言葉だが、なぜ多くの主要自動車メーカーがリアエンジンレイアウトを採用したのかがよくわかる内容だ。リアエンジンの人気は、1955年にフィアット600がデビューするかなり前から高まり始めていた。詳しく見ていこう。

タトラV570(1931年)

チェコのタトラは、1931年にV570という名のリアエンジンのプロトタイプを製作した。開発者たちは、エンジンを後部に配置することでトランスミッショントンネルが不要になり、室内が静かで広々とした空間になると考えた。

後部を延長することで、より空力性能に優れたボディを設計することも可能になった。V570は量産されることはなかったが、多くの歴史家がフォルクスワーゲンビートルに直接的な影響を与えたと主張していることから、歴史的に興味深い1台となっている。

タトラV570(1931年)
タトラV570(1931年)

タトラ77(1934年)

タトラはV570の開発で得た知見を活かし、77という名の量産車を生み出した。1934年に発売された77は、その設計の基礎となったプロトタイプよりもはるかに大きかったが、流線型のデザインやリアエンジン配置といった特徴は共通している。

搭載されたエンジンは、最高出力60psの空冷V8だ。後の77aには、より大型の75psのV8が搭載された。残念ながら、77は大量生産車とは到底言えない。1938年、約250台で生産終了となったのだ。しかし、タトラが1999年に乗用車事業から撤退するまでの基盤を築き上げたという点で、77は極めて重要な意味を持つ。

タトラ77(1934年)
タトラ77(1934年)

1996年に登場した700は同社最後の乗用モデルである。77と同様に、後部に空冷V8エンジンを搭載した、大型で空力性能に優れた4ドア車だ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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