【いったい誰が輸入している?】2016年に日本撤退したフォード車、いまも年間500台以上売れ続けるワケ

公開 : 2020.08.29 05:50  更新 : 2022.03.25 18:51

2016年1月、フォード社が日本市場からの撤退を発表しました。3度の撤退の背景を振り返ります。また、今なお年間500台以上売れている理由を探ります。調べてみたら答えはすぐに出ました。老舗の声も入手しました。

撤退後も全国60以上の拠点でフォロー

text:Kumiko Kato(加藤久美子)

フォード社が日本市場からの撤退を発表したのが2016年1月。業界にもオーナーにも激震が走ったが、本当に同じ年の9月に撤退してしまった。

フォード・マスタング・コンバーチブル(1984年)、マーキュリー・セーブルワゴン(1987年)、フォード・ブロンコ(1990年)、と1989年から10年間に3台のフォード車を乗り継いできた筆者にとっても、かなり衝撃的だった。

海外では5人乗りのオンロード・モデル「ブロンコ・スポーツ」が発表されたばかり。
海外では5人乗りのオンロード・モデル「ブロンコ・スポーツ」が発表されたばかり。    フォード

翌年2017年4月に上海モーターショーの取材におこなった際、フォードブースにはエクスプローラーを中心にきらびやかな新車が並び、ブースではアメリカ人パフォーマーによる華やかなショーが繰り広げられていた。

「日本からは撤退しても中国でこんなに華やかにやってるんだな」と、フォードの元気な姿を見てホッとした反面、寂しい気持ちにもなった。

撤退後、日本でのアフターフォローは2012年に日本市場から撤退したサーブと同様、ピーシーアイが担当している。

全国に60以上のサービス拠点が整備され、正規輸入されたフォード車(初度登録2016年9月末まで)に限って、アフターサービスや、純正パーツなどの供給をおこなっている。

「フォード・ロングライフサポート」の対象となるクルマも最長2021年9月末まで残っている。

また、フォードが日本を撤退する際の条件として、国交省と最低でも10年間の部品供給とリコール等の体制の維持を約束していると言われている。

当面は不安なく、乗り続けることができそうだ。

過去にも2度撤退 2つの理由

日本でのフォード車販売は三共商会(現在の三共製薬)が輸入販売を始めた1909年に始まる。

1925~40年には横浜・子安(現在のマツダR&D)にてフォード・モデルTを含む数車種の組立生産もおこなわれていた。

アメリカの自動車普及の礎となったのが、ティン・リジーの愛称でも知られるT型フォード。効率的な大量生産により1500万台以上が世に送り出された。
アメリカの自動車普及の礎となったのが、ティン・リジーの愛称でも知られるT型フォード。効率的な大量生産により1500万台以上が世に送り出された。    AUTOCAR英国編集部

今年で111年を迎える大変長い歴史となるが、この間、フォードが日本市場から撤退したのは2016年が初めてではない。

2016年の撤退で3回目となるが、1回目と2回目はそれぞれ以下の理由だ。

1回目(1941年)

第二次世界大戦の宣戦布告により日本フォード自動車会社が閉鎖。

2回目(1982年)

オイルショック以降の販売低迷により撤退(近鉄モータースを中心に北海自動車工業、カメイ、ニューエンパイアモーター、日光社、欧米モータースによるフォード輸入組合が設立され、直輸入による販売が開始された)

1982年の撤退後はフォード輸入組合6社(後に双葉オートを加えて7社)が独自輸入モデルの販売を含め、日本のフォード車を守り続けてきた※

そして3回目の撤退となった2016年以降も実は年間500台強ペースで、フォード車が新規登録されている。

台数を追ってみると、フォード車の新規登録台数(乗用車+トラック)は、2016年:2225台、2017年:551台、2018年:484台、2019年:512台、2020年(1〜7月)295台。

年間500台ペースながら安定して売れ続けており2019年はキャデラック(479台)を上回る数字となった。

記事に関わった人々

  • 加藤久美子

    Kumiko Kato

    「クルマで悲しい目にあった人の声を伝えたい」という思いから、盗難/詐欺/横領/交通事故など物騒なテーマの執筆が近年は急増中。自動車メディア以外ではFRIDAY他週刊誌にも多数寄稿。現在の愛車は27万km走行、1998年登録のアルファ・ロメオ916スパイダー。クルマ英才教育を施してきた息子がおなかにいる時からの愛車で思い出が多すぎて手放せないのが悩み。

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