アリゾナの太陽に灼かれる日米欧の廃車 40選(前編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.07.20 18:25

ヒルマン・ミンクス

アメリカンスタイルを採用した英国製のヒルマン・ミンクスは、大西洋を越えて比較的よく売れ、1958年だけで1万9000台が販売された。実際、この小型ファミリーカーは、米国のメーカーが独自のコンパクトカーを発売するまで人気を維持していた。

しかし、現在ではほとんど姿を消しており、この2台は非常に珍しい光景となっている。どちらも火災で損傷しており、価値はほとんどないだろう。

ヒルマン・ミンクス
ヒルマン・ミンクス

トヨタカローラ – 1974年

トヨタ・カローラは1966年に発売され、この車両が生産ラインからロールアウトされた1974年には、すでに世界一のベストセラー車となっていた。これは2代目の後期型で、販売用ではなく、デザート・バレー・オートパーツが部品取り用として仕入れたものだ。

アリゾナ州のナンバープレートが付いているが、リアフェンダーの下部に大きな穴が開いていることから、おそらくは気候のあまり良くない州で使われていたと思われる。トヨタ・カローラは、12世代にわたって5000万台以上の販売台数を誇る、史上最も人気のある自動車だ。

トヨタ・カローラ - 1974年
トヨタ・カローラ – 1974年

オペル・マンタ

1970年代、ゼネラルモーターズは2ドア・クーペの初代マンタを輸入した。ドイツの子会社オペルによって製造され、米国ではビュイックの販売店を通じて販売された。しかし、為替レートの変動と価格上昇により、1970年代半ばまでに販売が終了し、ゼネラルモーターズは代わりに日本製のいすゞ車を輸入するようになった。

その後、オペルの名前が米国で再び登場することはなかったが、キャデラック・キャテラ(1996-2001)はオペル・オメガのバッジエンジニアリング車だった。

オペル・マンタ
オペル・マンタ

フォード・カプリ – 1971年

マンタの直接のライバルとなるカプリは、英国で設計され、ドイツで製造された後、1970年に米国で発売された。リンカーン/マーキュリーの販売店を通じて販売されたため、欧州とは異なり、フォードのエンブレムは付けられていなかった。

カプリは成功を収め、ある年には、フォルクスワーゲンビートルに次ぐ輸入車販売台数第2位を記録した。

フォード・カプリ - 1971年
フォード・カプリ – 1971年

フォード・カプリII – 1977年

2代目のフォード・カプリは、米国ではカプリIIとして知られ、これもリンカーン/マーキュリー販売店を通じて販売された。先代と同様、欧州仕様車と非常によく似ており、最も大きな変更点は4灯式ヘッドランプと大型バンパーだ。

1976年から1978年の間に、このスポーティなハッチバックは5万6000台以上販売されたが、現在ではほとんど残っていない。

フォード・カプリII - 1977年
フォード・カプリII – 1977年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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