意外と知られていないオーストリア生まれの名車 30選(前編) 歴史的なモデルから最新EV、国産ブランドのスポーツカーまで
公開 : 2026.03.01 11:25
フェルバー・オートローラー
1952年から1953年の短期間のみオーストリアで自動車を生産していたフェルバー社は、フェラーリやランチアをベースにしたスペシャルカーで知られる同名のスイス企業とは別物である。オーストリアのフェルバー・オートローラーは初期のバブルカーの一例で、398ccの2気筒ロタックスエンジンを搭載し、出力は15psであった。
キャビン内の座席配置は奇抜で、運転席は前部中央に位置し、その左後方に子供用の小さな座席がある。さらに、運転席の右後方には大人用の助手席が斜めに配置されている。当然のことながら、フェルバー・オートローラーは普及せず、生産開始からわずか1年後に同社は消滅し、生産台数は400台にとどまった。

フィスカー・オーシャン
ヘンリック・フィスカーはデンマーク生まれのデザイナーで、アストン マーティン、BMW、フォードなどの自動車メーカーに勤務した後、米国カリフォルニアに自身の名を冠した会社を設立した。この国際的な経験ゆえか、2020年にプロトタイプが初公開されたオーシャンは、本社所在地やフィスカーの故郷とは別の場所で生産されることになった。
フィスカーはマグナ・シュタイアにオーシャンの生産を委託。しかし、財政難に悩まされ、2024年4月には生産中止に追い込まれた。ただし、その時点ですでに1万台が生産されていた。それからわずか数か月後、フィスカーは米連邦破産法第11条の適用を申請した。

グレーフ&シュティフト
グレーフ兄弟は早くも1895年に最初の自動車を製作し、1902年にはヴィリー・シュティフトと合流してアーノルド・シュピッツ設計の車両を生産した。1907年、グレーフ&シュティフト社を立ち上げ、大型高級車で知られるようになった。
グレーフ&シュティフトは、1914年にフランツ・フェルディナント大公が暗殺された際(サラエボ事件)に同社の車両が使用されていたことで、悪い意味で有名になった。この事件が第一次世界大戦を引き起こしたのである。戦後、同社は高級車製造に復帰し、銀のライオンのエンブレムで有名になった。最後のモデルであるC12は1938年に生産された。

グロフリ
グロフリは第一次世界大戦後の時代に現れた数多くの欧州自動車メーカーの1つで、1921年から1931年までウィーン近郊のアッツガースドルフに拠点を置いていた。自社開発の6気筒モデルを発表し、フランスのアミルカー社のスポーツモデルもライセンス生産した。
グロフリは専属のワークスレーサーの擁していた。マックス・ホフマンである。彼は後に米国で自動車輸入事業を立ち上げ、ポルシェとフォルクスワーゲンの輸入で名を馳せた。

画像 オーストリアの自動車メーカーが生んだ現代のスポーツカー【KTMクロスボウとデウス・ヴァイアンを詳しく見る】 全25枚



























