乾燥した大平原で見つけた日米欧の廃車 40選(前編) 半世紀前のフォルクスワーゲン『ラビット』も ジャンクヤード探訪記
公開 : 2026.03.22 11:05
オペル・マンタ
1971年から1974年まで米国で販売されたオペル・マンタ・ラリーは、主にスポーツパッケージとして位置づけられていた。より攻撃的な外観を持ちながらも、標準の1.9Lエンジンはそのままだった。ただし、引き締められたサスペンションにより鋭いハンドリングを実現していた。この1台は、後方からの激しい追突事故によってリアが潰れ、フロントも損傷している。まっすぐなボディパネルがほとんど残っていないのに、ここまで長く生き延びたのは驚くべきことだ。

イーグル・タロン
ウォラー・オートパーツは時折廃車を破砕機へ送るが、この山もその運命を待っているようだ。その中に黒のイーグル・タロンが混じっている。イーグルは、クライスラーが1988年にAMCを買収した後に創設されたブランドで、旧AMCディーラーから販売されていた。
タロンは本質的に三菱エクリプスのバッジエンジニアリング車であり、1990年から1994年の間に販売されたのは14万5000台未満。現存率は低く、この黒の個体が、山の中で最も注目に値する1台となっている。

スバルGL(1985年)
ウォラー・オートパーツには1980年代の錆のない日本車が多数ある。かつてはほとんど注目されずに放置されていたが、数が減るにつれ、関心や価値が徐々に高まりつつある。その一例がこの1985年式スバルGL 4ドア・セダンだ。新車時は7646ドルで、4WDモデルの場合は1500ドル高かった。1985年、スバルは米国で約17万8000台を販売した。かなりに普及していたモデルだったのだ。

デソート(1959年)
クラシックカーも数多く保存されている。1959年式デソート・ファイアドーム4ドア・セダンは、同様に状態の良いカイザーの隣に停められており、ボディにも歪みがなくほぼ完全な状態だ。デソートブランド終焉期を代表するクルマとして、レストアに適した1台と言えるだろう。

ダッジ・セントレジス
セントレジスという名称はホテルのロビーのような高級感を連想させるが、1979年から1981年に販売されたこのモデルは、クライスラーの経営不振期に急遽投入された大型セダンだ。シボレー・カプリスやフォードLTDに対抗する意図があったが、ライバルには到底及ばなかった。1979年に約5万2000台、1980年に約2万1000台を販売したが、最終年となった1981年には4000台未満で生産が打ち切られた。現存車は珍しく、この日焼けした個体は貴重だ。










































