伝説の自動車デザイナー、ガンディーニが手掛けた名作 50選(前編) 不朽のミウラからストラトスまで

公開 : 2026.06.21 11:05

アルファ・ロメオモントリオール(1967年)

1967年、カナダのモントリオールで万国博覧会が開催され、これを記念してアルファ・ロメオはイタリアのカロッツェリア・ベルトーネにコンセプトカー2台の設計と製作を依頼した。目指したのは「自動車分野における人間の究極の願望を表現すること」であり、その結果、非常に流線型のクーペが誕生した。

1.6Lのアルファ・ロメオ・ジュリア・スプリント・クーペをベースにしたこの無名のコンセプトカーは、来場者やメディアから大好評を博し、量産化を求める声が殺到した。1970年には2.6L V8エンジンを搭載した量産モデルのモントリオールが発表された。生産は1977年に終了し、販売台数は4000台未満にとどまる。

アルファ・ロメオ・モントリオール(1967年)
アルファ・ロメオ・モントリオール(1967年)

フィアット125エグゼクティブ(1967年)

ガンディーニ氏は、ノーズからテールまで一貫したウエストラインは必要ないと考えていた。彼は荷物の積載量を増やすためにトランクリッドを高くするという手法をとり、1967年にフィアット125エグゼクティブを考案。そのスタイリングは当時としてはかなり過激なものだった。

125エグゼクティブの要素は後のデザインに採用されたものの、このモデル自体が量産化されることはなかった。

フィアット125エグゼクティブ(1967年)
フィアット125エグゼクティブ(1967年)

ランボルギーニ・マルツァル(1967年)

シルエットだけ見れば、マルツァルはそれほど奇抜ではない。しかし、スラット付きのリアウィンドウから、全面ガラス張りのガルウィングドア、ガラスルーフに至るまで、このコンセプトカーは実に豊かな想像力の産物であった。

マルツァルは実際に走行可能で、1967年のジュネー・ブモーターショーで初公開された際には最高出力175psの2.0L直列6気筒エンジンを搭載していた。これはミウラの4.0L V12エンジンの半分にあたるものだ。

ランボルギーニ・マルツァル(1967年)
ランボルギーニ・マルツァル(1967年)

ジャガー・ピラーナ(1967年)

ガンディーニ氏はここでも、ベース車であるジャガーEタイプの存在を巧みにカモフラージュしている。ピラーナは英紙『デイリー・テレグラフ』の依頼で作られたもので、同紙はアールズ・コート・モーターショーのメインスポンサーであった。ピラーナは1967年のショーにおける目玉と位置付けられた。

ベルトーネには、ピラーナの設計と製作にわずか5か月しか与えられず、予算はわずか2万ポンドだった。ショーが終わると、車両は売却され、現在では米国の個人所有となっている。

ジャガー・ピラーナ(1967年)
ジャガー・ピラーナ(1967年)

ランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)

1968年のブリュッセル・モーターショーに初出展した際、ベルトーネは来場者をあっと驚かせるような展示車を作ろうとしていた。1966年にミウラが発表されて以来、同社はそのオープントップモデルを検討しており、1968年1月にミウラ・ロードスターとして披露した。

V12エンジンをアピールするため、フロントガラスと後部ルーフセクションは低くなっている。Cピラーのエアインテークスラットも拡大され、リアスポイラーは新設計のテールランプに合わせて改良された。残念ながら、1台限りのワンオフ車にとどまった。

ランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)
ランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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