時代が違えば売れていた? 惜しくもヒットを逃したクルマ50選(前編) ランドローバーの対抗馬から、名ばかりのマッスルカーまで
公開 : 2026.11.03 11:05
シボレー・ベガ(1971年)
ベガは、迫り来る日本の輸入車に対抗するための切り札となるはずだった。しかし、GMの幹部ジョン・Z・デロリアン氏は後に、同社経営陣はベガの欠点を生産開始前から把握していたにもかかわらず、あえて「ゴーサイン」を出したと主張している。その結果、ボディは錆びやすく、エンジンも頻繁に故障するようになった。
ベガの製造水準は極めて低かったため、多くの米国人が日本車を購入するきっかけにとされている。これはベガの本来の開発目的とは正反対の結果だった。

レイランドP76(1973年)
ブリティッシュ・レイランド(BL)がオーストラリア市場専用モデルを開発すると決めた結果、誕生したのがP76だ。他の市場での販売は想定されておらず、いわゆるグローバルカーではなかった。
それでも、P76のハンドリングは見た目と同様にひどく、製造品質も1970年代のBLらしいものだった。開発には多額のコストがかけられたにもかかわらず、P76はわずか2年で生産中止となり、BLのシドニー工場もそれに伴って閉鎖された。

トライアンフ・スタッグ(1970年)
この特集記事全体をブリティッシュ・レイランドの製品だけで埋め尽くすこともできた。だが、トライアンフ・スタッグは自動車業界において、最も惜しむべき失敗例の1つと言える。
スタッグは、メルセデス・ベンツSLに代わる手頃な価格のスポーツカーとして設計されたV8エンジン搭載の4人乗りコンバーチブルだ。1970年の登場当初は注目を集めたが、独自のV8エンジンやボディシェルに起因する製造品質の問題により、1977年までに世界中で販売されたのは2万6000台未満であった。

フォード・ピント(1971年)
チャンスを逃した残念な代表例といえば、ピントだろう。米国市場における日本車の販売拡大を食い止めるために設計されたが、後部からの衝突事故で燃料タンクに穴が開き、火災を引き起こすリスクが判明したのだ。
フォードは是正措置としてリコールを余儀なくされたが、その評判はすでに地に落ちていた。

ランチア・ベータ(1972年)
ランチア・ベータは、洗練されたデザイン、多彩なボディスタイル、そして力強いツインカムエンジンを備え、歴史に残る名車となる可能性を十分に秘めていた。しかし、ランチアの親会社であるフィアットがコスト削減を推進しすぎた結果、品質の低い鋼材が使われ、早期の劣化を招いた。これにより、欧州の多くの地域でランチアの評判を損なうことになってしまった。
































