【ダットサン240Z】日産の放った初回ホームラン フェアレディZ 前編

2020.05.17

サマリー

1969年、お手頃なスポーツカーとして登場したダットサン240Z。ライバルとは一味違う個性で、高い注目を集めました。50年経った今でも、その輝きは色あせません。英国日産のコレクションの貴重な1台に試乗しました。

もくじ

感動するほどの走行性能と新鮮なルックス
クーペとしてのデザインを最優先
フロントサスはローレル1800から流用
軽量化のためにガラスも薄く

感動するほどの走行性能と新鮮なルックス

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
時代を問わず、突然に頭角を現す新モデルが登場することがある。ライバルとのギャップを埋めるだけでなく、クラスを超え、カテゴリーの水準を再定義するほどのクルマ。

ジャガーは1961年に、ジャガーEタイプでそれを成し遂げた。素晴らしい見た目と、圧倒的な走行性能を両立させ、完璧なブレンドを構成していた。

ダットサン240Z(日産フェアレディZ・S30型/1969年−1973年)
ダットサン240Z(日産フェアレディZ・S30型/1969年−1973年)

フォードはその3年後、同様なレシピでマスタングを発表。高性能で艷やかなグランドツアラーは、比較的安価にドライバーとしての純粋な楽しみを与えてくれた。

ジャガーもフォードも、その画期的なクルマの背後には、長く続く歴史やレガシーを持っていた。だが、自動車の経験が浅かった日産が生み出したヒーローは、一体どこから生まれたのだろう。

日産が突如、1969年に打ち放したホームラン。S30型の日産フェアレディZは、海外ではダットサン240Zという名前で売られた。感動するほどの走行性能と新鮮なルックスで、先行するライバルへ一気に追いついた。

徹夜で仕上げたとすら思える登場だったが、中身は高水準。一部のライバルを、時代遅れにさえした。主要市場となった北米での価格は挑戦的なもので、他ブランドのライバルを選ぶ理由すら見つからないほど。

日のいづる、東の小さな島国から登場した、小さなスポーツカー。ライバルメーカーは予想もしていなかった。フェアレディZが登場するまで、輸出市場で成功していた日本車の多くは、主に英国の自動車産業が生んだ足跡を参考にしていたのだから。

クーペとしてのデザインを最優先

当時の日産、ダットサンとして最も北米で人気を得ていたのは、フェアレディ1600と2000というロードスター。登場は1960年代半ばだ。

オースチン・ヒーレー・スプライトやMGミジェットの手法を真似たようなクルマだった。1950年代のコンパクト・スポーツカーの雛形とでもいえるだろう。

ダットサン240Z(日産フェアレディZ・S30型/1969年−1973年)
ダットサン240Z(日産フェアレディZ・S30型/1969年−1973年)

日産の英国拠点が設立されたのは1968年。最初の数年間は、高い輸入関税とNSU社、元アウディとのディーラー網の共有に縛られ、販売は思うようにいかなかった。

1970年が始まる前までに、英国へ進出していたダイハツが販売できたクルマは、わずかに8台。英国人へ素晴らしい印象を与えるには、何か特別なモデルが必要だった。

日本の自動車メーカーは、その頃からライバルメーカーを分析・評価し、自身の設計やデザインに展開する手法を得意としていた。初代のマツダMX-5(ロードスター)やホンダNSXなどにも表れている。

だが日産は、明確なお手本を探さず、自社なりの向上心で240Zを生み出した。そして海外市場で大成功を収めた。

何よりも、ルックスの良さが重要だと判断した日産。デザイナーの吉田章夫と田村久米雄は、既に存在感の強かったトヨタ2000GTやジャガーEタイプ、フェラーリ275GTBなど、クーペのデザインにフォーカスした。

開発が進む中で、初期のデザイン案は日本流のプロポーションを掴みつつあった。カーデザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツのモデルから発想を得たようなプロトタイプ、A550Xは、異なる姿へと変化を遂げていった。

 
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