究極の308 GTB 2005年まで継続のアヴァンティ 無名から伝説まで FRPボディの珍車・名車(3)

公開 : 2025.06.29 17:55

高い自由度で少量生産メーカーの心強い新素材になったFRP 軽量スポーツカーの普及に貢献 名門ブランドも着目 コルベットにRS 200、M1まで FRPボディの珍車・名車をUK編集部が振り返る

フェラーリ308 GTB ヴェトロレジーナ(1975〜1977年)

スポーツカー・ブランドの頂点に輝くフェラーリだが、308 GTBの究極といえるのが、初期に提供されたFRP製ボディの「ヴェトロレジーナ」だろう。1977年にスチール製ボディへ変更されるまでの2年間に、808台が提供されている。

2+2のグランドツアラー、ディーノ308 GT4に対する市場の冷淡な反応を挽回すべく、生み出されたのが流麗なスタイリングの308 GTBだ。FRP製ボディは、ミドシップ・クーペを短時間で実現する、好適な手段になった。

フェラーリ308 GTB ヴェトロレジーナ(1975〜1977年)
フェラーリ308 GTB ヴェトロレジーナ(1975〜1977年)

製造品質は高かったものの、スチール製やアルミ製ほど高級感はなく、パネルの軋む音へ不満を寄せる顧客は少なくなかった。錆びにくく、150kgも軽く仕上がっていたが。ちなみにドライサンプ・エンジンは、後期型より約10psほどパワフルでもあった。

★マニアな小ネタ:308 GTB ヴェトロレジーナは、FRP製ボディを持つ唯一の量産フェラーリ。その後、FRP製ボディのレプリカにフェラーリは強硬な姿勢で対応している。

アウトビアンキ・ステリーナ(1963〜1965年)

小さな2シーター・バルケッタが、ほぼ無名のアウトビアンキ・ステリーナ。フィアット・グループだけでなく、イタリア車としても初のFRPボディ・モデルだった。エンジンは767ccで、発表は1963年のイタリア・トリノ。1964年に発売されている。

スタイリングは、ファビオ・ルイージ・ラピ氏とトム・ジャーダ氏によるもの。アウトビアンキはFRPの剛性を不安視し、ボディシェルは必要以上に強固に作られている。シャシーはフィアット600Dの改良版で、最高速度は114km/hが主張された。

アウトビアンキ・ステリーナ(1963〜1965年)
アウトビアンキ・ステリーナ(1963〜1965年)

ステリーナの価格は極めて高く、生産は2年間で終了。502台しか販売されていない。安価で美しい、フィアット850 スパイダーの発売がとどめを刺したといえる。

★マニアな小ネタ:アウトビアンキは1955年創業のイタリア・ブランドで、フィアットにとっての実験部門的な立場にあった。前輪駆動モデルも、ひと足先に量産している。

ボルボP1900(1956〜1957年)

1950年代初頭に、アメリカでのブランドイメージ向上を目的に作られたのが、オープン・スポーツカーのP1900。FRP製ボディへの造詣が深かったビル・トリット氏によるスタイリングが、スチール製シャシーを覆った。

1956年に生産は始まるが、FRP製ボディは製造品質の管理が難しく、問題が多発。1.4Lエンジンは、充分な動力性能を発揮しなかった。ベースはボルボPV444という名のサルーンで、1957年までの生産数は67台に留まり、殆どがスウェーデンに納車された。

ボルボP1900(1956〜1957年)
ボルボP1900(1956〜1957年)

★マニアな小ネタ:P1900を提案した人物は、シボレーの工場を訪れた経営者の1人、アッサー・ガブリエルソン氏。FRPボディのコルベットを目撃したことが、きっかけだったという。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ゲイリー・アクソン

    Gary Axon

    英国編集部ライター
  • 撮影

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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