イタルデザインの傑作デザイン 50選(前編) 今も語り継がれる初期の名車

公開 : 2025.09.23 11:05

フォルクスワーゲン・シロッコ(1974年)

フォルクスワーゲンがイタルデザインにシロッコの設計を依頼したと思われがちだが、実際はそうではない。イタルデザインはゴルフのプラットフォームを基に実用的な2+2ハッチバックを提案したが、フォルクスワーゲンはこれを却下した。イタルデザインは諦めず、そのデザイン案をカルマンに提示。カルマンはこれを気に入り、フォルクスワーゲンが販売することを条件に生産を承諾した。7年間で50万台以上が生産された。

フォルクスワーゲン・シロッコ(1974年)
フォルクスワーゲン・シロッコ(1974年)

ヒョンデ・ポニー(1974年)

1970年代初頭、韓国の自動車産業はまだ黎明期にあり、ヒョンデは国内向けにフォード・コルティナの組み立てを行っていた。自社のオリジナルモデルを強く望むようになり、イタルデザインに三菱ランサーのプラットフォームを基にしたシンプルで頑丈な設計を依頼した。その結果生まれたのがポニーである。ハッチバックのように見えるが、初代ポニーは実際にはセダンであり、テールゲートが装備されたのは1982年のモデルチェンジ時だった。

ヒョンデ・ポニー(1974年)
ヒョンデ・ポニー(1974年)

マセラティクアトロポルテIII(1976年)

クアトロポルテシリーズの中で、第3世代モデルは最も評価が低い。その理由は、いまひとつ魅力に欠けるラインと粗悪な製造品質にある。クアトロポルテは、イタルデザインによる1976年のコンセプトカー、メディチIIを基に開発され、1976年末に初公開された。量産車はさらに3年後の登場となり、4136ccまたは4930ccのV8エンジンを搭載していた。

マセラティ・クアトロポルテIII(1976年)
マセラティ・クアトロポルテIII(1976年)

アウディ80(1978年)

1972年の初代80はアウディにとって大成功を収めたため、後継車の開発がイタルデザインに依頼された際、期待値は極めて高かった。イタルデザインはすでにフォルクスワーゲン向けに数多くのデザインを手掛けており、80 B2では控えめな美しさを持つ傑作に仕上げてみせた。大型エンジン搭載の90を含め、150万台以上が生産された。

アウディ80(1978年)
アウディ80(1978年)

メガガンマ(1978年)

メガガンマは、これから主流となる乗用車の未来像を示すモデルだった。全長を短縮しつつ全高を上げることで、小さな車体で広い居住空間を実現したのだ。ベースとなったランチア・ガンマ2500と比べて、全長は290mm短いものの、全高は247mm高く、車内は170mmも広くなっていた。

メガガンマ(1978年)
メガガンマ(1978年)

BMW M1(1978年)

BMWがミドシップスーパーカーの投入を決めた時、デザインを誰に依頼すべきかは自明だった。当初の計画では、スタイリングをイタルデザインが担当し、生産はランボルギーニが担う予定だった。しかし、ランボルギーニが倒産したため、生産もイタルデザインが引き受けることになった。生産台数はわずか453台。全車に3453cc直列6気筒エンジンが搭載された。ターボチャージャー付きのレーシング仕様では最高出力850psを発揮したが、市販車はわずか277psだった。

BMW M1(1978年)
BMW M1(1978年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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