有名な「失敗作」の実態とは? 大ヒットしたのに評価が低い不運なクルマ 12選

公開 : 2025.11.26 11:45

ルノー・ドーフィン

ルノー史上最も可愛らしいクルマ(単に趣味の話だが)と言えるドーフィンは、戦後間もない頃に登場した4CVの後継車として、同じエンジンの大型・高出力バージョンを搭載している。

フランスでは非常に人気があったドーフィンだが、米国では惨憺たる失敗作として記憶されている。その理由はいくつかあり、車体が錆びやすいこともその1つだ。しかし、多くの事柄と同様、実際の事情はもう少し複雑だ。

ルノー・ドーフィン
ルノー・ドーフィン

当初、ドーフィンは米国で小型輸入車としては異例の人気を博した。セカンドカー需要のミニブームに乗った結果であり、ルノーにとって多大な利益をもたらした。しかし、急激な人気低下によって財務的混乱を引き起こし、会社を危機的状況に追い込んだ。

とはいえ、全体的には大成功だった。ルノーはわずか4年で100万台を生産した(4CVが同じ数字に達するまで14年かかっている)。1956年から1967年までの総生産台数は210万台を優に超える。米国の評価はさておき、ドーフィンはルノーにとって殊勲を立てたクルマであることは間違いない。

トラバント601

601は、当時東ドイツでトラバントの名のもと生産されたモデルの中で、生産期間が群を抜いて長い。その遠い祖先であるP50は1957年の登場時には近代的だったが、わずかに改良されただけの601は1990年まで生産が続けられ、自動車業界における最大の時代錯誤の1つとなっていた。

他に選択肢がまったくない場合にのみ購入する類のクルマだった。どうしてこのクルマが成功作と言えるのだろうか?

トラバント601
トラバント601

その疑問に対する答えは、東ドイツでは他に選択肢がほとんどなかったから、というものだ。顧客は支払いから納車まで何年も待たねばならなかった(中古車を高値で購入する場合を除く)。だが少なくとも最終的にはクルマを手に入れ、移動の自由を得られたのだ。

販売台数については諸説あるが、約300万台と推定されており、601の本来の価値をはるかに上回る数字だ。もし、当時の東ドイツ人が国境を越えた西ドイツでクルマを買うことができていたら、トラバントの購入を考えた人はいなかっただろう。実際、ドイツ統一後、旧東ドイツ住民がフォルクスワーゲンを購入するようになると、トラバントは廃止に追い込まれた。

トライアンフTR7

1970年代のブリティッシュ・レイランド車と同様、TR7も開発遅延、品質問題、労働争議に悩まされた。北米のみで販売され、同シリーズ最高峰と広く評価されたローバーV8搭載の派生モデル、TR8が終盤にようやく登場したものの、大量販売の機会を逃してしまった。当時はスタイリングも非常に物議を醸した。

TR7の生産終了は、トライアンフブランドの終焉をほぼ意味するものだった。その後に登場したのはアクレイムで、これはトライアンフと呼ぶには程遠く、ホンダ・バラードの派生に過ぎなかった。

トライアンフTR7
トライアンフTR7

以上のことから、TR7は失敗作と思われがちだ。確かにオースチン・アレグロやモーリス・マリーナほどの販売台数は記録しなかったが、趣味性の高いスポーツカーとしてそれを期待すること自体が無理筋だったと言える。

実際、TR7はトライアンフのTRシリーズの中で最も成功したモデルであり、唯一10万台を超える販売台数を記録したモデルなのである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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