倍耐力改めPIRELLI ピレリのパブリックイメージ(前編)【サイトウサトシのタイヤノハナシ 第20回】

公開 : 2026.05.20 12:05

ランチア・ストラトス用に開発されたP7

そんなピレリも、クルマの高性能化に伴い、1950年代後半チントゥラートにスチールベルトを採用するための研究に入ります。一説には、ミシュランのスチールラジアルの特許が切れる1966年に合わせてスチールラジアルの研究に入ったともいわれています。

いずれにしても、ピレリのスチールラジアルが形になるのは1968年に登場するピレリチントゥラートCN36です。テトリスのL字を組み合わせたような個性的なトレッドデザインで記憶に残っているのですが、構造的にもスチールベルトの上にナイロンの補強層を重ねる(キャッププライ)技術を開発。これが超低偏平ラジアル=ピレリP7につながるわけです。

ポール・リカールで行われた試乗会。
ポール・リカールで行われた試乗会。    斎藤聡

そもそもP7は、WRCマシン=ランチア・ストラトス用に開発された超高性能タイヤでした。結果、WRC(世界ラリー選手権)で1974、75、76年とマニファクチャラーズ・タイトルを3連覇。文字通りWRCシーンを席捲します。

世界中のクルマ・ファンに、ピレリ=高性能低偏平タイヤメーカーとしての名声を固めていきました。

2015年、中国資本に

経営面でも、最新のピレリには大きな動きがあります。

ピレリの創業は、1872年にまで遡ります。当初は電線やゴム製品の製造からスタートし、1901年に自動車用タイヤ『milano』の発売で本格的にモビリティ分野に参入します。

この時、ポール・リカールでは、ランフラットの試乗会を実施。
この時、ポール・リカールでは、ランフラットの試乗会を実施。    斎藤聡

ピレリの成長のカギとなったのが、前述したチントゥラート。1951年に発明され、その後、スチール+チントゥラート(≒キャップレイヤー)のハイブリッド構造を採用。1970年代にP7の登場で、ハイパフォーマンスタイヤメーカーとしての地位を確立します。

そうやって世界的な名声を手にし、順風満帆に見えたピレリですが2015年に中国最大の化学メーカーである中国化工集団(略称:中国化工・ケムチャイナ)の資本を受け入れ、傘下に入ります。

これによって一旦株式を非上場化し、収益性の低いトラック、農業用タイヤ部門を中国側(ケムチャイナ)に統合。ピレリ本体をプレミアムタイヤメーカーとしてブランドの再構築を図るとともに、世界最大の市場である中国でのシェア拡大の足掛かりにしたのです。

そして2017年にミラノ証券取引所に再上場。この時、株主間協定を通じて、経営の独立権と技術の主導権をイタリア側が持ち続ける仕組みを構築します。

資本は中国、経営はイタリアという関係を保ちながら運営。ところが近年、地政学的な変化が起こります。

ひとつは2021年にケムチャイナが、シノケム(中国中化控股有限責任公司…シノケム・ホールディングス 略称:中国中化)へ合併して、純然たる中国国営企業になったのです。そのため、欧米政府からの警戒が一気に強まりました。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    斎藤聡

    1961年生まれ。学生時代に自動車雑誌アルバイト漬けの毎日を過ごしたのち、自動車雑誌編集部を経てモータージャーナリストとして独立。クルマを操ることの面白さを知り、以来研鑽の日々。守備範囲はEVから1000馬力オーバーのチューニングカーまで。クルマを走らせるうちにタイヤの重要性を痛感。積極的にタイヤの試乗を行っている。その一方、某メーカー系ドライビングスクールインストラクターとしての経験は都合30年ほど。

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