なぜ衰退したのか? リアエンジン車の黄金時代(後編) BMWを救った700からポルシェ911、フィアット126まで

公開 : 2026.09.21 12:10

ヒルマン・インプ(1963年)

ヒルマンは1963年、リアエンジンのインプを発売した。ミニに真っ向から挑むべく設計されたインプには、競合他社にはない独創的な特徴があった。

リアウィンドウが上方に開くようになっており、後部座席に荷物を載せることができる。さらにスペースが必要な場合は、後部座席の背もたれを完全に倒すことができるが、これも1960年代としては珍しい機能だった。

ヒルマン・インプ(1963年)
ヒルマン・インプ(1963年)

ヒルマンは、ミニよりもインプを日常使いしやすいクルマにするために多大な努力を払ったが、特に冷却システムに関する信頼性の問題により評判を落としてしまった。

そしてスコットランドのリンウッド工場でのストライキが、問題をさらに悪化させた。インプの販売もあまり好調とは言えず、ヒルマンの親会社ルーツの財政難に大きく影響し、1967年にクライスラーの傘下へと追いやることとなった。

ポルシェ911(1963年)

ポルシェは1963年、356の後継として901を投入した。これは一から設計されたまったく新しいモデルで、より流線型のデザインを採用し、水平対向6気筒エンジンを搭載している。しかし、プジョーが「中央にゼロを含む3桁の車名はすべて当社が所有している」と指摘したため、901は発売直後に911へと改名された。

その後の展開は、言うまでもないだろう。911は、これまでに量産されたリアエンジン車の中で最も有名なモデルだ。

ポルシェ911(1963年)
ポルシェ911(1963年)

911はその長い歴史の中で、数え切れないほどの進化を遂げてきた。サイズは大きくなり、重量は増し、技術は進歩し、出力も格段に向上した。冷却方式は空冷から水冷へと移行し、2024年にはハイブリッドモデルも発売された。それでもリアエンジンを維持しており、このレイアウトが今もなお、911の象徴的なデザインを形作っている。

フィアット850(1964年)

600の後継として開発されたフィアット850は、先代と同じリアエンジンレイアウトを基に設計された新型車だ。1964年に発売された850は、本来なら600のような流線形のシルエットを持つはずだったが、社内テストの結果、試作車の空力性能が不十分であることが判明した。出力は29psから40psへと跳ね上がったにもかかわらず、最高速度は600とほぼ同じ約110km/hにとどまったのだ。

ダンテ・ジアコーザ氏によれば、フィアットは発売延期を避けるため、スリーボックスデザインを急いで量産化したという。850は最高速度120km/hを実現し、スケジュール通り発売された。

フィアット850(1964年)
フィアット850(1964年)

スペインのセアトは再び850をライセンス生産し、今回もドアを1組追加したバリエーションを展開した。一方、トリノのフィアット本社では、600のときにコーチビルダーのスポーティなバリエーションに脚光を奪われた経験から、同じ過ちを繰り返さ名によう決意していた。

1965年には、850のクーペとコンバーチブルのバリエーションを発売し、より高出力の843ccエンジンを導入した。1968年、クーペとスパイダーモデルには903ccの4気筒エンジンが搭載された。一方、米国では排出ガス規制を回避するために817ccの4気筒エンジンを搭載していた。

850の生産は1973年に終了した。フィアットは後継として、フロントエンジン・前輪駆動の127を投入した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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