なぜ衰退したのか? リアエンジン車の黄金時代(後編) BMWを救った700からポルシェ911、フィアット126まで
公開 : 2026.09.21 12:10
スコダ1000 MB(1964年)
チェコのスコダは研究開発部門に対し、1000 MBをリアエンジン仕様にするよう求めたわけではない。単に、同社の他のモデルよりも軽量で、低燃費で、コンパクトにするよう指示しただけだ。1950年代後半において、それはボディ・オン・フレーム構造を廃止することを意味していた。
その点が決まると、開発チームは3つの選択肢を検討した。フロントエンジン・前輪駆動、フロントエンジン・後輪駆動、そしてリアエンジン・後輪駆動だ。彼らが後者を選んだのは、生産が容易になり、ひいては販売価格を安くできるからだった。

1000 MBは、1990年まで続くスコダのリアエンジン搭載モデルの第1弾となった。このシリーズには、4ドアの乗用車、ファストバック風のルーフラインを持つ2ドア・クーペ、そしてラリーで活躍したチューニングモデルの130 RSなどがある。
フィアット126(1972年)
フィアットが126を発売した1972年には、リアエンジン車の人気はすでに下火になり始めていた。500の後継車として開発された126は、1970年代のトレンドに沿った、角ばったデザインが特徴だ。
しかし、中身の機械部品は500から多くを流用していた。パワーユニットは、キャビン後方に搭載された空冷2気筒エンジンである。

初期のモデルでは、23ps、594ccの2気筒エンジンと4速マニュアル・トランスミッションを搭載している。126の生産は500よりもさらに長く続いた。発売から15年目を迎えた1987年、水冷式704ccの2気筒エンジンが搭載され、実用性を高めるためにリアハッチが追加された。
フィアットは1993年に多くの西欧諸国で126の販売を終了したが、ポーランドでは依然として絶大な人気を誇った。ポーランドでの生産は1973年に始まり、2000年まで続いた。総生産台数は、500が380万台であるのに対し、126は460万台に達した。
リアエンジン車の終焉
1959年の初代ミニ(写真)は、経済性を重視した小型のフロントエンジン・前輪駆動を採用車でありながら、十分な室内空間を確保していた。その影響力は絶大で、1960年代には多くの自動車メーカーがリアエンジンに代わる選択肢として真剣に検討するようになった。
シトロエン、フォード、サーブのように、それまでリアエンジン車を発売したことがなかったメーカーは他社の動向を静観していた。ルノーは1959年のエスタフェットに始まり、1961年の3と4で本格的に転換を図った。

フィアットは1947年に前輪駆動の検討を開始し、1964年のアウトビアンキ・プリムラでついに量産化に成功した。シムカは1967年に1100を発売し、フィアットは2年後に128を発表した。1969年は、シボレーがコルヴェアの生産を中止し、以後、リアエンジン車を一切作らなくなった年でもある。
そしてフォルクスワーゲンでさえ、フロントエンジン車に前向きな姿勢を見せ始めた。同社初のフロントエンジン車はK70で、1970年にNSUからフォルクスワーゲンのラインナップに移籍した。
1973年に登場したパサートと、1974年のゴルフは、いずれも同様のレイアウトを採用していた。リアエンジン車の黄金時代は、こうして終わりを告げたのだ。
写真ライセンス:https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.en
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