北米の大地に眠るスクラップ寸前のクラシックカー 20選 戦前の希少モデルも ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.08.09 18:25

ポンティアック・チーフテン(1957年)

もし、これが1957年製のシボレーではなくポンティアックだったなら、今頃はもうレストアされているか、少なくとも有用な部品は全て取り外されているだろう。不人気の理由の1つは、これが下位グレードのチーフテンであることだ。この4ドア・セダンは合計3万5671台が販売された。

ポンティアック・チーフテン(1957年)
ポンティアック・チーフテン(1957年)

ポンティアック・カタリナ(1959年)

1959年のポンティアックは、この4ドアのカタリナのように特徴的な分割グリルを採用していた。このデザインは好評を博し、ポンティアックのフロントエンドに数十年にわたって採用された。1959年の販売台数は38万3320台に達し、ポンティアックは歴史上初めて、米国第4位のブランド(シボレー、フォード、プリムスに次ぐ)となった。その後、1962年から1969年までは3位の座を獲得した。

ポンティアック・カタリナ(1959年)
ポンティアック・カタリナ(1959年)

ビュイック・スポーツワゴン(1968年)

オールズモビル・ヴィスタ・クルーザーと同様、1968年製のビュイック400スポーツワゴンも、2列目シートと荷室上部に天窓を備えたハイルーフが特徴だ。今はもう取り外されているが、この個体はかつて、最高出力340psの6.5L V8エンジンを搭載していた。0-97km/h加速は約8秒、最高速度は200km/hに達した。

この個体はフェンダーに「GS」というバッジが付いているが、実際には1968年にスポーツワゴンのGSバージョンは生産されていない。

ビュイック・スポーツワゴン(1968年)
ビュイック・スポーツワゴン(1968年)

キャデラック(1958年)

この個体が出荷された1958年当時、キャデラック・セダン・ドゥビルの価格は5000ドル近くした。参考までに、当時の平均世帯収入は5100ドルだった。高価だが、それでも2万3989台が販売された。

ひどく腐食した後部座席から判断すると、リアウィンドウが失われてから相当な時間が経っているようだ。

キャデラック(1958年)
キャデラック(1958年)

フォード・ギャラクシー(1960年)

心無い破壊行為により、この1960年製フォード・ギャラクシー・タウン・ビクトリアのガラスはほとんどすべて破壊されている。唯一被害を免れたのは、襲撃時に開いていた助手席側の窓だけだ。また、ボンネットには弾痕がいくつかあるようだ。

1960年にはギャラクシーのボディスタイルが5種類用意され、この4ドア・ハードトップは4番目に人気があり、3万9215台が販売された。

フォード・ギャラクシー(1960年)
フォード・ギャラクシー(1960年)

ビュイック(1950年)

残念ながら、この1950年製のビュイック・スペシャルのボンネットは複数の弾痕が開いており、個別の部品としての価値はない。特徴的な歯のようなグリルは、おそらく狙いを外れたためか、無傷のようだ。穴といえば、ビュイックのポートホール(飾りの穴、正式名称は『ベンティポート』)は、この1年前に導入されたばかりだった。

ビュイック(1950年)
ビュイック(1950年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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