超ディープな自動車博物館 シュタイア・プフ 深い歴史を学べる展示車両 19選

公開 : 2025.09.13 11:45

シュタイア・タイプ50(1936年)

もし量産に至っていたら、シュタイア・タイプ50はフォルクスワーゲンビートルと同じ、大衆車市場で競合していただろう。シュタイアは、他の自動車メーカーや政府から国民車を短期間で提供するよう要請される可能性を予見して、1934年にタイプ50の開発を開始した。しかし、そのような要請が来ることはなく、タイプ50は試作段階に留まった。

特定の角度から見るとビートルに酷似しているが、この類似性は偶然である。両車に共通する部品は一切ない。タイプ50は水冷式直列4気筒エンジンをフロントに搭載している。

シュタイア・タイプ50(1936年)
シュタイア・タイプ50(1936年)

シュタイア・プフ500(1957年)

シュタイア・プフはフィアットから500の生産ライセンスを取得した。ゼロから開発せず、安価な小型車をオーストリアの人々に提供するためだ。しかし、イタリアの国民車をそのまま複製するつもりはなかった。走行テストで500の欠陥を複数発見し、生産開始前に修正を加えたのである。

シュタイア版500は、フィアットの479cc直列2気筒エンジン(最高出力13.5ps)を廃し、実用性の高い16psの493cc水平対向2気筒エンジンを採用した。トランスミッションは、スムーズで操作が容易なシンクロメッシュ式4速マニュアルを搭載。オーストリアで設計・製造されたこの専用パワートレインにより、シュタイア500は山岳道路での実用性が向上した。

シュタイア・プフ500(1957年)
シュタイア・プフ500(1957年)

シュタイア・プフ500(1957年) – 続き

シュタイア・プフは500の外観も変更し、大型リアランプの装着や独自のトリムパーツの追加を行った。イタリア人は500の折り畳み式ルーフでアドリア海沿岸の日光浴を楽しんだが、1月半ばにシュペッツレを買いに店へ走ることは、誰にとっても「甘い生活(ラ・ドルチェ・ヴィータ)」とは言えなかった。そこで、シュタイヤは500にフルメタルルーフをオプション設定した。また、ルーフラインを調整し、後部座席乗員の頭上空間を拡大した。

シュタイア500は、ほぼ全ての点でフィアットを上回っていた。同社は1957年から1975年にかけて6万台を生産した。フィアットはシュタイアに対し、オーストリア国外での販売を禁止したが、ごく少数がドイツやフィンランドなど他国に輸出された。

シュタイア・プフ500(1957年)
シュタイア・プフ500(1957年)

500の後継車である126のオーストリア製モデルは、水平対向2気筒エンジンの改良版を搭載したが、需要低迷により生産は短期間で終了した。シュタイア126は、ブランド固有のエンブレムなどの細部を除けば、フィアット製とまったく同じ外観だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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