強烈なインパクトを残した3輪車 52選(後編) 今もマニアの心を掴んで離さない独特の世界観

公開 : 2025.10.25 11:45

自動車の黎明期には3輪車が数多く生まれ、コンパクトで安価な移動手段として世界各地で普及しました。今でも一部のメーカーが愛好家向けに生産を続けています。今回は3輪車のミステリアスな世界を少しだけ紹介します。

スクータカー(1958年)

欧州でバブルカーが話題となる中、英国のスクータカーズ社はこの奇抜なクルマを生産した。3つの世代が存在し、基本設計は共通だが、初代と2代目は197ccエンジンを搭載、3代目では324ccに拡大された。1958年から1965年にかけて約1000台が生産された。

スクータカー(1958年)
スクータカー(1958年)

バークレーT60(1959年)

ローリー・ボンドの傑作にはすでに触れた通り(翻訳者注:「前編」をご参照ください)。1955年、彼はキャンピングカーメーカーのバークレーに超小型スポーツカーの共同開発を持ちかけた。その結果生まれたのが4輪のB65で、その4年後に3輪のT60へと進化した。

非常に機敏で運転が極めて楽しいT60は、発売初年度に1750台を売り上げる大ヒットとなった。しかし、1960年にキャンピングカーの販売不振によってバークレー社が倒産し、終焉を迎えた。

バークレーT60(1959年)
バークレーT60(1959年)

リライアントMkVI(1960年)

3輪車で名高い企業と言えば、英国のリライアントだ。65年に及ぶ生産期間で20万台近くを出荷したからである。最初の乗用モデルは1952年に登場したが、かなり簡素な作りだった。しかし、1960年までにこのスポーティな小型車が量産されるようになった。流線形でスタイリッシュなMkVIは大成功を収め、1962年までに8478台が生産された。

リライアントMkVI(1960年)
リライアントMkVI(1960年)

ノーベル200(1959年)

このモデルはドイツ製フルダモービルS-7から発展し、1959年に英国製のノーベル200となった。3輪または4輪仕様で販売され、航空機メーカーのブリストル社製のグラスファイバー製ボディシェルを特徴とする。キットカー(部品を購入して自宅で組み立てる)または完成車としても購入でき、1962年までに約1000台が生産された。

ノーベル200(1959年)
ノーベル200(1959年)

ピールP50(1962年)

スケートボードよりわずかにハイテクなピールP50は、今もギネス世界記録に世界最小の量産乗用車として登録されている。運転席の下で49ccエンジンがブーンと唸りを上げ、1人が不快な姿勢で乗る。最高速度は約48km/h。

オリジナルのP50は非常に高値で取引されるが、最近ではEV仕様が生産されている。

ピールP50(1962年)
ピールP50(1962年)

GMラナバウト(1964年)

1960年代の3輪車の多くは安価で実用重視の作りだったが、GMはこのコンセプトカーで洗練された美しいデザインも表現できることを示した。1964年の万国博覧会で披露されたラナバウトは、前輪(1本)が180度回転可能で、その場で方向転換することができた。後部には取り外し可能なショッピングカートも組み込まれていた。

GMラナバウト(1964年)
GMラナバウト(1964年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

強烈なインパクトを残した3輪車 52選の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事