最もバッジエンジニアリングされたクルマ 36選(後編) 兄弟車はついに「2桁」へ
公開 : 2025.11.01 11:45
ほとんど違いはないのに、別のブランド名を与えられたバッジエンジニアリング(リバッジ)車の代表的な例を紹介します。欧米メーカーは特に熱心で、時にはやり過ぎてしまって混乱を招くこともありました。
もくじ
ースズキ・ビターラ - 4車種
ービュイック・テラーザ(2005年) - 4車種
ープリムス・タウン&カントリー(1983年) - 5車種
ーシボレー・アベオ(2002年) - 6車種
ーヒルマン・アベンジャー(1970年) - 6車種
ーGMCエンボイ(1998年) - 6車種
ーBMCファリーナ(1959年) - 6車種
ーBMC ADO16(1962年) - 6車種
ー三菱スタリオン(1982年) - 6車種
ーハンバー・セプター(1966年) - 7車種
ーシボレー・キャプティバ・スポーツ(2006年) - 7車種
ーホールデン・モナーロ(2001年)- 7車種
ーシボレー・ベンチャー(1997年) - 7車種
ースズキ・スイフト(1988年)- 8車種
ーシボレー・スパーク(2009年) - 8車種
ータルボ・ホライゾン(1978年) - 9車種
ーオペル・カデット(1984年) - 9車種
ーいすゞ・トゥルーパー(1991年) - 11車種
ーGM Tカー(1974年) - 13車種
スズキ・ビターラ – 4車種
ビターラ(写真)は市場によって、スズキ・サイドキック、シボレー・トラッカー、そしてジオ・トラッカーという名で販売された。
ちなみに、GMのジオブランド(1989~2016年)は他社製車のバッジエンジニアリングのみで構成されていた。プリズムは実質トヨタ・スプリンター、ストームはいすゞ・インパルス、スペクトラムはいすゞ・アイマーク、そして後述するメトロはスズキ・スイフトのバッジエンジニアリング車だった。

ビュイック・テラーザ(2005年) – 4車種
GMはまたもや、バッジが違うだけの4車種のミニバンを売り出した。ビュイック・テラーザに加え、シボレー・アップランダー、ポンティアック・モンタナSV6、サターン・リレー(写真)が存在したが、どれも同様に印象の薄いクルマだった。

プリムス・タウン&カントリー(1983年) – 5車種
クライスラーが1983年に世界初のピープルキャリア(ミニバン)を発売した際、顧客にはダッジ・グランドキャラバン、プリムス・タウン&カントリー、クライスラー・グランドボイジャーという選択肢が用意された。
後にフォルクスワーゲンは自社製のシャランという優れたモデルを保有しながらも、クライスラーのミニバンをライセンス生産し、ルータン(写真)として販売。さらにフィアットとクライスラーの提携により、一時的にランチアブランドからも販売された。

シボレー・アベオ(2002年) – 6車種
初代シボレー・アベオは大宇・カロスをベースに開発された。カロスは平凡なクルマで、個性や魅力に欠けていたにもかかわらず、アベオは世界中に展開された。ホールデン・バリーナ、ポンティアックG3(写真)、ZAZヴィダ、さらにカナダではスズキ・スイフト+として販売されていた。

ヒルマン・アベンジャー(1970年) – 6車種
英国のルーツ・グループは、1970年にこの後輪駆動のファミリーカーを投入した。当初はヒルマン・アベンジャーとして販売され、タルボット、サンビーム、ダッジ版も存在する。米国ではプリムス・クリケット(写真)、アルゼンチンではフォルクスワーゲン1500として販売された。

GMCエンボイ(1998年) – 6車種
GMは長年、バッジエンジニアリングを積極的に活用してきた。その主な理由は、多くのブランドを保有していたこと、そして国ごとに異なるブランドを割り当てていたことにある。しかし、その言い訳が通用しない場合もある。サーブ9-7X、シボレー・トレイルブレイザー、GMCエンボイ(写真)、ビュイック・レイニア、いすゞ・アセンダー、オールズモビル・ブラバダはすべて米国で販売されたのだ。









































