最もバッジエンジニアリングされたクルマ 36選(後編) 兄弟車はついに「2桁」へ

公開 : 2025.11.01 11:45

ほとんど違いはないのに、別のブランド名を与えられたバッジエンジニアリング(リバッジ)車の代表的な例を紹介します。欧米メーカーは特に熱心で、時にはやり過ぎてしまって混乱を招くこともありました。

スズキ・ビターラ – 4車種

ビターラ(写真)は市場によって、スズキ・サイドキック、シボレー・トラッカー、そしてジオ・トラッカーという名で販売された。

ちなみに、GMのジオブランド(1989~2016年)は他社製車のバッジエンジニアリングのみで構成されていた。プリズムは実質トヨタ・スプリンター、ストームはいすゞ・インパルス、スペクトラムはいすゞ・アイマーク、そして後述するメトロはスズキ・スイフトのバッジエンジニアリング車だった。

スズキ・ビターラ - 4車種
スズキ・ビターラ – 4車種

ビュイック・テラーザ(2005年) – 4車種

GMはまたもや、バッジが違うだけの4車種のミニバンを売り出した。ビュイック・テラーザに加え、シボレー・アップランダー、ポンティアック・モンタナSV6、サターン・リレー(写真)が存在したが、どれも同様に印象の薄いクルマだった。

ビュイック・テラーザ(2005年) - 4車種
ビュイック・テラーザ(2005年) – 4車種

プリムス・タウン&カントリー(1983年) – 5車種

クライスラーが1983年に世界初のピープルキャリア(ミニバン)を発売した際、顧客にはダッジ・グランドキャラバン、プリムス・タウン&カントリー、クライスラー・グランドボイジャーという選択肢が用意された。

後にフォルクスワーゲンは自社製のシャランという優れたモデルを保有しながらも、クライスラーのミニバンをライセンス生産し、ルータン(写真)として販売。さらにフィアットとクライスラーの提携により、一時的にランチアブランドからも販売された。

プリムス・タウン&カントリー(1983年) - 5車種
プリムス・タウン&カントリー(1983年) – 5車種

シボレー・アベオ(2002年) – 6車種

初代シボレー・アベオは大宇・カロスをベースに開発された。カロスは平凡なクルマで、個性や魅力に欠けていたにもかかわらず、アベオは世界中に展開された。ホールデン・バリーナ、ポンティアックG3(写真)、ZAZヴィダ、さらにカナダではスズキ・スイフト+として販売されていた。

シボレー・アベオ(2002年) - 6車種
シボレー・アベオ(2002年) – 6車種

ヒルマン・アベンジャー(1970年) – 6車種

英国のルーツ・グループは、1970年にこの後輪駆動のファミリーカーを投入した。当初はヒルマン・アベンジャーとして販売され、タルボット、サンビーム、ダッジ版も存在する。米国ではプリムス・クリケット(写真)、アルゼンチンではフォルクスワーゲン1500として販売された。

ヒルマン・アベンジャー(1970年) - 6車種
ヒルマン・アベンジャー(1970年) – 6車種

GMCエンボイ(1998年) – 6車種

GMは長年、バッジエンジニアリングを積極的に活用してきた。その主な理由は、多くのブランドを保有していたこと、そして国ごとに異なるブランドを割り当てていたことにある。しかし、その言い訳が通用しない場合もある。サーブ9-7X、シボレー・トレイルブレイザー、GMCエンボイ(写真)、ビュイック・レイニア、いすゞ・アセンダー、オールズモビル・ブラバダはすべて米国で販売されたのだ。

GMCエンボイ(1998年) - 6車種
GMCエンボイ(1998年) – 6車種

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

最もバッジエンジニアリングされたクルマ 36選の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事