小柄なフィアットからタフなランドローバーまで 米国の廃車置き場で見つけた欧州車 62選(2)【ジャンクヤード探訪記】
公開 : 2026.05.24 11:25
トライアンフTR7(1975年)
伝説的なイタリア人自動車デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏がトライアンフTR7を初めて目にした時、じっくりと観察し、少し間を置いてから反対側へ回り、「なんてことだ!こっち側も同じことをやってしまったのか」と叫んだという逸話がある。
このウェッジシェイプのスタイリングは確かに万人受けするものではなく、親会社であるブリティッシュ・レイランドが期待したほどの成功を収めることはなかった。1975年から1981年の間に約11万5000台が生産され、米国が最大の市場となった。この部品取り車は1975年に生産された個体で、生産地である英国で発売される1年前のことだ。デザート・バレー・オート・パーツで見つけた車両だ。

フィアットX1/9(1975年)
トライアンフTR7に似たスタイルを持つ、イタリア製ミドシップのフィアットX1/9は、主に輸出向けとして設計された。実際、1972年から1989年の間に生産された16万台のうち、およそ3分の2が米国に輸出されている。この個体は、米国での販売が開始されて2年目にあたる1975年に生産されたもので、950ドル(約15万円)という破格の値段で手に入れることができる。デザート・バレー・オート・パーツにある車両だ。

ヒルマン・ミンクス
米国風のスタイリングを採用した英国製ヒルマン・ミンクスは、比較的よく売れ、1958年だけで1万9000台が輸入された。実際、米国メーカーが独自のコンパクトカーを投入するまで、小型ファミリーカーとして人気だった。
しかし、今ではほぼ姿を消しており、この2台は極めて珍しい光景だ。どちらも火災による損傷を受けており、価値はほとんどないだろう。これらもデザート・バレー・オート・パーツにある。

フォード・カプリ(1971年)
オペル・マンタの直接のライバルだったのが、英国設計でドイツ生産のカプリであり、1970年に初めて米国に上陸した。リンカーン・マーキュリーのディーラーを通じて販売されたため、欧州向けとは異なり、フォードのエンブレムは付いていなかった。かなりのヒットを飛ばし、ある年にはフォルクスワーゲン・ビートルに次ぐ、輸入車販売台数第2位を記録している。こちらもデザート・バレー・オート・パーツで見つけた車両だ。

フォード・カプリII(1977年)
フォード・カプリMkII(米国では単にカプリIIと呼ばれた)も、再びリンカーン・マーキュリーの販売店を通じて販売された。先代モデルと同様、欧州仕様と非常によく似ていたが、最も大きな違いは4灯式のシールドビームヘッドランプ、グリルに組み込まれたターンシグナル、そして大型バンパーである。
1976年から1978年の間に、このスポーティなハッチバックは5万6000台以上販売された。この車両もデザート・バレー・オート・パーツにある。

(翻訳者注釈:この記事は「3」へ続きます。)
画像 時代のシンボル? ウェッジシェイプが特徴的な小型スポーツカー【トライアンフTR7とフィアットX1/9を詳しく見る】 全37枚







































