マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(後編) 記憶から消えてしまうのが惜しいクルマ
公開 : 2025.11.30 11:45
ボルボ780(1985年)
ボルボはイタリアのコーチビルダー、ベルトーネとの提携を再開し、760をクーペへと変貌させ、780と名付けた。1985年のジュネーブ・モーターショーで初公開されたそのプロポーションは262Cよりも洗練されていた。シャープでスポーティなラインはボルボのラインナップに調和し、当時の消費者の期待にも応えるものだった。
インテリアはレザーとウッドのトリムで仕上げられ、フラッグシップとしての地位にふさわしく、ボルボがそれまでに生み出した最もエキゾチックなクルマの1つとして、その名を馳せた。世界的にはV6、ターボディーゼル、ターボチャージャー付き4気筒エンジンが選択肢として用意されていた。780の生産台数については諸説あり、ボルボは8518台と発表しているが、正確な数字は1万台前後だと主張する人もいる。いずれにせよ、780の生産は1990年に終了し、後継車が登場したのは1996年の初代C70(ベルトーネは関与していない)まで待たねばならなかった。

ネイラーTF(1985年)
ネイラーは、MGのクラシックカーの高品質なレストアで高い評価を得ていた。そのため、MG TFに現代的なエンジン、トランスミッション、電気系統を搭載するという構想は理にかなっていたと言える。ネイラーTFの完成度の高さは目を見張るものがあったが、最高出力78psのブリティッシュ・レイランド製Oシリーズエンジンと4速マニュアル・トランスミッションという組み合わせは、買い手を惹きつけるものではなかった。しかし、ネイラーにとって真の問題はコストだった。
TFの当時の価格は1万4950ポンドで、トヨタMR2の方が安価で運転性能も高く、実用性も上回っていたのだ。愛国心を煽るようなマーガレット・サッチャー首相による試乗すら、販売を100台以上押し上げるほどの効果はなかった。

メルクールXR4Ti(1985年)
フォードは、欧州向けのスポーティなシエラXR4iを米国に投入すれば、BMWやメルセデス・ベンツ、アウディといったブランドとの競争に打ち勝てると考えた。同社はこのモデルを『メルクール(Merkur)』という新しいブランド名で販売することにしたのだが、それはドイツ語風に聞こえるという理由でのネーミングだろう。
米国仕様モデルはV6エンジンではなくターボチャージャー付き2.3L直列4気筒エンジンを搭載した。これが車名に付いた「T」の由来だ。あまりにニッチすぎたXR4Tiは、ドイツから約4.2万台が輸入された後、1989年に生産終了。大型モデルのメルクール・スコーピオも同様の運命をたどった。

























