マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(後編) 記憶から消えてしまうのが惜しいクルマ
公開 : 2025.11.30 11:45
ダイハツ・クオーレ・アバンツァートTR-XX R4(1985年)
三菱ランサーエボリューションやスバル・インプレッサといった世界ラリー選手権(WRC)車の市販版が世界を熱狂させていた頃、ダイハツは独自の解釈でクオーレ・アバンツァートTR-XX R4を投入した。ただし、WRCでのステージ優勝というより、活況を呈していた日本の軽自動車市場から生まれたものだ。
小さなクオーレは、他社の有名なラリーカーと同様に四輪駆動システムとターボエンジンを搭載していたが、排気量659ccではやや非力だった。4気筒エンジンは64psを絞り出し、0-97km/h加速は8.5秒。本気で追い込めば最高速度160km/hに達する。大した数字ではないように見えるかもしれないが、クオーレはハードに運転せざるを得ない特性ゆえ、驚くほど楽しめ、どんな旅も一味違うものにしてくれる珍しい存在だった。

UVA F33(1986年)
このUVAフュージティブF33 Can-Amは、ミドシップにローバーV8エンジンを搭載したミニマルなF30を基に誕生したモデルだ。有名なアリエル・アトムより10年以上も前に登場したF33は、UVAのオフロード用サンドバギーに着想を得たシャシーに、骨組みだけのボディワークを載せている。
1986年の発表当時、その性能はスーパーカー並みだった。しかし、フェラーリ・テスタロッサ風のサイドインテークや驚異的な性能を誇っていたにもかかわらず、12台しか売れなかった。1980年代の過剰さを象徴する1台だ。

スズキ・サムライ(1986年)
このクルマが本質的に不安定だという認識は、発売当時の人々の心に刻まれている。サムライはスズキ・ジムニーの輸出仕様だが、米国のとある雑誌で「横転しやすい」という記事が掲載され、訴訟問題に発展。記事の内容は眉唾物だったが、残念なことにネガティブなイメージが根付いてしまった。
サムライは廉価版ジープ・ラングラーのような位置づけで、楽しさとオフロード性能を求める若いドライバーをターゲットに設計された。約20万台が販売されたものの、クルマの不安定性を報じた雑誌社に対する訴訟後、販売も不安定になったと言われている。

BMW Z1(1988年)
当時8000台しか売れなかったZ1は、BMWの歴史の中ですっかり影の存在となっている。1988年の発売当時、ベースとなった当時の325iスポーツの2倍以上の高価格だったが、流麗なデザインと特徴的なドロップダウンドアに惹かれた人は多かったはずだ。その後、Z1は後継車であるZ3 MやZ4 Mにやや影を潜めることになった。Z1の扱いにくさや控えめな性能に対するやや不当な評判も、その傾向に拍車をかけた。それでもなお、少数ながら熱心なファン層が存在する。

























