マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(後編) 記憶から消えてしまうのが惜しいクルマ

公開 : 2025.11.30 11:45

シボレー・ベレッタGTU(1988年)

ずばり、初代フォルクスワーゲン・ゴルフGTIの米国版である。ベレッタGTUはシボレーのレースでの成功から生まれ、130psの2.8L V6エンジンを搭載。0-97km/h加速9.2秒と、ゴルフGTIよりわずか0.2秒遅いだけだ。

ベレッタGTUが他と一線を画しているのは、よくあるスポーティ版とは異なるアプローチを取った点だ。シボレーは単にボディキットを装着しただけでなく、サスペンションを調整し、高性能タイヤを履かせた。さらに、そのGTUの血統を控えめに表現していた点も特徴で、このあたりもゴルフGTIとよく似ている。

シボレー・ベレッタGTU(1988年)
シボレー・ベレッタGTU(1988年)

ビュイック・リアッタ(1988年)

リアッタはクーペとコンバーチブルが用意され、1980年代後半のビュイックのラインナップの頂点に位置づけられていた。ミシガン州ランシングにある専用施設で主に手作業で生産され、当時としては比較的先進的なクルマだった。オプションとして16方向調整シート、オートヘッドライト、さらにはタッチスクリーンまで用意されたが、これらの装備は段階的に廃止されていった。経営陣は年間約2万台の販売を見込んでいたが、1988年から1991年にかけて生産されたのは約2万2000台に留まる。お世辞にも成功とは言い難く、この教訓から、ビュイックはその後2人乗りモデルを販売していない。

ビュイック・リアッタ(1988年)
ビュイック・リアッタ(1988年)

ダイハツ・ロッキー(1988年)

このコンパクトSUVは、日本ではラガー、英国ではフォートラックとして知られている。日本と英国では一定の成功を収めたが、SUVには大型化を求める米国市場では小さすぎた。エンジンラインナップも魅力に欠け、100psに届かない4気筒エンジンは、予想通り鈍重な走りを披露した。ハンドリングも悪く、米国市場におけるイメージ向上にはまったく貢献せいず、1992年には完全に撤退した。

ダイハツ・ロッキー(1988年)
ダイハツ・ロッキー(1988年)

クライスラーTC by マセラティ(1988年)

クライスラーとマセラティの親会社デ・トマソは、1980年代半ばにスポーツカーの共同開発で合意した。計画は紙の上では見事だった。クライスラーはマセラティの名声を利用し、米国市場で最高峰の2ドア車と対抗できるフラッグシップモデルを生産するつもりだった。

イタリア・ミラノで組み立てられるため生産に時間はかかったが、エンジンオプションにはコスワース設計の16バルブヘッドを備えた2.2L 4気筒と、三菱製のV6が含まれていた。クライスラーは約7300台を米国に輸入した後、このプロジェクトを中止した。今にして思えば、マセラティのエンジンを採用していればTCの寿命は延びていただろう。

クライスラーTC by マセラティ(1988年)
クライスラーTC by マセラティ(1988年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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