マイナーな1980年代の名車&迷車 39選(後編) 記憶から消えてしまうのが惜しいクルマ

公開 : 2025.11.30 11:45

ダッジ・ダコタ・スポーツコンバーチブル(1989年)

1989年に発表されたダッジ・ダコタ・スポーツコンバーチブルに対し、消費者は一様に「ちょっと待て、何だこれは?」と驚き、続いて「なぜ?」と疑問を抱いた。その名が示す通り、これは手動式ソフトトップを備えたピックアップトラックだが、「スポーツ」という名称はかなり疑問符が付くものだった。このモデルは短命に終わり、フォードシボレーからの競合車も生まれなかったが、1980年代で最もユニークなピックアップトラックの1つとして記憶されている。ひょっとすると、これは日産ムラーノ・クロスカブリオレやレンジローバー・イヴォーク・コンバーチブルの前身だったのだろうか?

ダッジ・ダコタ・スポーツコンバーチブル(1989年)
ダッジ・ダコタ・スポーツコンバーチブル(1989年)

ビーガンチューン・エヴァンテMk2(1990年)

英国のビーガンチューン(Vegantune)が1960年代のロータスエランを改良したモデル。バックボーンシャシーを基に、エヴァンテMk2はフォード製ブロックをベースにした独自の1.7Lエンジンを搭載し、142psを発生した。性能はオリジナルのロータスを上回り、造り込みも良かった。しかし、1990年代初頭の景気後退期に、クラシックなロータスを思わせる高価な2シーターは受け入れられず、エヴァンテは失速する。

興味を示す人は少なく、実際に購入する人はさらに少なかった。そのため、ハンドメイドのエヴァンテMk2はわずか6台しか生産されなかった。その後、ビーガンチューンはFleur De Lys社に売却され、そこでフォードのゼテックエンジンを搭載した12台が追加生産された。現在では活発なオーナーズクラブが存在する。

ビーガンチューン・エヴァンテMk2(1990年)
ビーガンチューン・エヴァンテMk2(1990年)

キャデラック・シマロン(1982年)

シマロンの物語は中途半端な取り組みの記録だ。1982年に登場したシマロンは、プレッシャーの産物だった。海外メーカーに販売を奪われることを懸念したキャデラックは、既存プラットフォームを流用した新型車の開発を強く望んでいが、問題はその開発期間がわずか1年しかなかったことだ。

そこで、シボレー・キャバリエをフルスペック化し、バッジエンジニアリングを施したものをキャデラック・シマロンとし、4000ドルのプレミアム価格で販売した。年間2万台という安定した販売台数を維持したものの、この稚拙なバッジエンジニアリングは消費者に見抜かれ、シマロンの販売は6年で徐々に萎んでいった。

キャデラック・シマロン(1982年)
キャデラック・シマロン(1982年)

写真:1983年モデル

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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