日本が世界に誇る画期的なクルマ 24選(前編) オートザムAZ-1からホンダS2000、マツダRX-7まで

公開 : 2026.01.22 11:25

レクサスLFA

自国の優れた技術力を世界に示そうと、日本ほど特注モデルを頻繁に投入する国は稀だ。レクサスLFAは、スーパーカーの新時代を定義する500台限定生産モデルだった。構造材のほぼすべてがカーボンファイバーで、4.8L V10エンジンの回転数があまりに速いため、それに追いつくデジタル回転計が設計されたほどだ。

レクサスは投機目的での購入を防ぐため、米国のディーラーでは中古車の取引価格を慎重にコントロールし、市場価格か元の定価のいずれか低い方の金額でのみ売却できるようにした。LFAは鮮烈な印象を残し、そのスタイリングは現代のトヨタスープラにも影響を与えている。

レクサスLFA
レクサスLFA

レクサスLS

1989年に発表されたレクサスLS(日本名:トヨタ・セルシオ)は、ブランド自体を含めすべてが新しかった。レクサスはトヨタの高級車部門ではあるが、独立ブランドとして欧州や米国の高級車メーカーに対抗することを目指したのだ。そのためには、あらゆる面でライバルを凌駕する必要があった。

LSの4.0L V8エンジンは異様なほど滑らかで静かだ。ラグジュアリーな乗り心地と、装備の充実度はメルセデス・ベンツSクラスを霞ませるほどだった。LSの真骨頂は細部へのこだわりにある。デジタル制御のエアコンで0.5度単位の細かい温度調節を実現した初の市販車でもある。

レクサスLS
レクサスLS

こうした精密さは、すべての高級車ユーザーの好みに合うわけではなかった。そして今なお、多くの地域でレクサスのブランドイメージは古参ライバルに及ばない。しかし、LSが競合他社を揺さぶり、大幅な性能向上を促したことは間違いない。他社はまずLSを購入し、分解してその秘密を探っていたのだ。

マツダMX-5

マツダMX-5(日本名:ロードスター)は、あらゆる面で日本が生んだ最重要モデルと言える。オープンの2シータースポーツカーというカテゴリーを消滅の危機から救い、30年以上にわたりマツダの収益源となり、何百万ものドライバーにシンプルなオープンドライブの喜びをもたらした。4世代で100万台以上が生産された事実がすべてを物語っている。

それにもかかわらず、自らの輝かしい実績に安住することなく、マツダは着実に改良を重ねてきた。それも、闇雲にパワーを追求するのではなく、性能、グリップ、そして後輪駆動ならではのハンドリングの適切なバランスを保つことに細心の注意を払ってきたのだ。

マツダMX-5
マツダMX-5

マツダRX-7

マツダのロータリーエンジンへの不思議なほど強いこだわりは称賛に値する。滑らかで高回転型のロータリーエンジンは、スタイリッシュなスポーツカーにはまさにうってつけのユニットだった。初代RX-7は明らかにポルシェ924に対するマツダの挑戦状だったが、後期にはさらなる高みを目指していた。

いずれのモデルも他とは一線を画すユニークな存在であり、RX-7を購入した人々は、そのエンジンとアプローチに惚れ込んでしまった。コンパクトなエンジンが低い位置に搭載され、卓越したハンドリングを実現しているため、維持費の高さを補って余りある。残念なのは、販売台数50万台近くを記録した初代モデルの成功を、後のモデルが引き継げなかったことだ。

マツダRX-7
マツダRX-7

(翻訳者注:この記事は「後編」へ続きます。)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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